Re: nmwくんの偏断
投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/06 00:53 投稿番号: [10620 / 41162]
10597に君が書いたことこそ、nmwくんの偏断ではないかね。
大大先輩の加登川氏を貶める(ひいては畝本氏も貶める)
でもね、皮肉なことに
私が説明した、
(1)「証言による南京戦史」と「南京戦史」の間には政治的バイアスがある
(2)「証言による南京戦史」を廃棄し「南京戦史」を取り上げたい意図
を、君の文章は見事に裏側から証明してくれたね。
あとは、加登川氏という人物がはたして、独断専行で畝本正己氏の真意を押さえ込んだのだろうか?
君の細切れ引用の仕方は、彼が悪漢であることを前提にしたような、加登川氏に対して失礼なやり方である。また、畝本正己氏の文章もきちんと読まねば成らぬ。
それに資するには、この問題に対する経過、各当事者の文章が詳しい、ゆうさんのサイトを読めばいい。
「偕行」の「お詫び」 ー「証言による南京戦史」(番外)よりー
http://www.geocities.jp/yu77799/kaikou.html
●加登川幸太郎氏●畝本正己氏
http://www.geocities.jp/yu77799/giseisha.html
はたして畝本氏は、nmwくんがいうように、加登川氏によって闇討ちに合ったのか?
畝本正己氏 1985年
===========
私の結論は3月号記述のとおり、「ホントウの数は解らない。強いて言えば、不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるものは三千〜六千」と推定した。その根拠を述べる。
(1)歩兵第七聯隊が15、16日、難民区掃蕩の際、潜んでいた敗残兵約千名を下関で銃殺したという証言(便衣兵であれば不法殺害とは断定できないが)。
(2)佐々木元勝氏、住谷盤根氏の証言。
―12月16日、下関埠頭で約二千名銃殺。これは泰山弘道氏(第三艦隊軍医大佐)が17日朝、下関の江岸一帯で目撃した中国兵の死体と同じものと推定される。この(1)、(2)は重複したものかも知れないし、収容した正式の捕虜の殺害か、敗残兵・便衣兵の殺害か、判別できない。虐殺とは断定できないが、不法処理の疑いが濃い。
(3)石松政敏氏、松川晴策氏の証言。
下関埠頭で15〜16日、便衣兵(捕虜)の処分。―便衣兵の処分か、捕虜の殺害か判別できないが、昼間と推定されるので(1)、(2)とは別のものであろう。昼間の処分であるから、便衣兵処分の公算が大きいが、その数は不明であるが、処分方法からみて、数百と推定される。
以上を集計すれば、不法処理の疑いのあるもの約三千となるが、虐殺と断定はできない。
(4)歩三三戦闘詳報にある「14日、捕虜三〇九六の処断」。これは記述のとおり、平井氏、堤氏は強く否定された。しかし、捕虜と記しているので、正式に収容したものと考えざるを得ない。その数は、当時の戦果報告が誇大であったことは確実であるから、約三分の一と推定すれば、約千名内外が殺害されたのではあるまいか。
(5)各師団の個別的処分数の推定。
第六、第百十四、第九、第十六師団、各五百名として約二千名。
これは根拠はなく、まったくの推定に過ぎない。第一線部隊とすれば、戦闘行為の継続と考えていたのかも知れないが。
(6)その他、城内、城外敗残兵の掃蕩
下関を含む各所で処分しているが、これは、不法行為とは断定できない。
(「偕行」1985年5月号 P8)
--------------------------------------------
「証言の重さ」について
編集委員 細木重辰
(略)
初陣であられた畝本氏が南京戦における国軍の潔白を信じ、それを証明したいと念じられたのは、私自身の乏しい戦場体験に照らしても当然です。その立論の根拠はまずご自身の実戦体験であり、その動機は戦後数十年を閲して突然にして報道されたかの莫々大な「数字」です。
ところが私どもにとって最も衝撃であったのは探索のすえ歩兵第三十三聯隊の戦闘詳報のちぎれ残った紙片の中から初めて「俘虜ハ処断ス」の文字を見出したときで、その時に畝本氏が洩らされた苦渋に満ちた「困った」の一言はよく覚えております。これは一面、氏の誠実さを物語るものでありますが、私どもも一次資料のその重さ、怖さを身にしみて感じました。
その後、お読みのように甚だ遺憾な証言・書証が多く発掘されてきたのですが、「南京で何が行われたか」を明らかにするという自らに課した編集態度は、どんなにつらくてもくずすわけにはまいりません。
(以下略)
(「偕行」1985年5月号 P8〜P9)
====================================================== =
畝本正己氏が\xA1
大大先輩の加登川氏を貶める(ひいては畝本氏も貶める)
でもね、皮肉なことに
私が説明した、
(1)「証言による南京戦史」と「南京戦史」の間には政治的バイアスがある
(2)「証言による南京戦史」を廃棄し「南京戦史」を取り上げたい意図
を、君の文章は見事に裏側から証明してくれたね。
あとは、加登川氏という人物がはたして、独断専行で畝本正己氏の真意を押さえ込んだのだろうか?
君の細切れ引用の仕方は、彼が悪漢であることを前提にしたような、加登川氏に対して失礼なやり方である。また、畝本正己氏の文章もきちんと読まねば成らぬ。
それに資するには、この問題に対する経過、各当事者の文章が詳しい、ゆうさんのサイトを読めばいい。
「偕行」の「お詫び」 ー「証言による南京戦史」(番外)よりー
http://www.geocities.jp/yu77799/kaikou.html
●加登川幸太郎氏●畝本正己氏
http://www.geocities.jp/yu77799/giseisha.html
はたして畝本氏は、nmwくんがいうように、加登川氏によって闇討ちに合ったのか?
畝本正己氏 1985年
===========
私の結論は3月号記述のとおり、「ホントウの数は解らない。強いて言えば、不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるものは三千〜六千」と推定した。その根拠を述べる。
(1)歩兵第七聯隊が15、16日、難民区掃蕩の際、潜んでいた敗残兵約千名を下関で銃殺したという証言(便衣兵であれば不法殺害とは断定できないが)。
(2)佐々木元勝氏、住谷盤根氏の証言。
―12月16日、下関埠頭で約二千名銃殺。これは泰山弘道氏(第三艦隊軍医大佐)が17日朝、下関の江岸一帯で目撃した中国兵の死体と同じものと推定される。この(1)、(2)は重複したものかも知れないし、収容した正式の捕虜の殺害か、敗残兵・便衣兵の殺害か、判別できない。虐殺とは断定できないが、不法処理の疑いが濃い。
(3)石松政敏氏、松川晴策氏の証言。
下関埠頭で15〜16日、便衣兵(捕虜)の処分。―便衣兵の処分か、捕虜の殺害か判別できないが、昼間と推定されるので(1)、(2)とは別のものであろう。昼間の処分であるから、便衣兵処分の公算が大きいが、その数は不明であるが、処分方法からみて、数百と推定される。
以上を集計すれば、不法処理の疑いのあるもの約三千となるが、虐殺と断定はできない。
(4)歩三三戦闘詳報にある「14日、捕虜三〇九六の処断」。これは記述のとおり、平井氏、堤氏は強く否定された。しかし、捕虜と記しているので、正式に収容したものと考えざるを得ない。その数は、当時の戦果報告が誇大であったことは確実であるから、約三分の一と推定すれば、約千名内外が殺害されたのではあるまいか。
(5)各師団の個別的処分数の推定。
第六、第百十四、第九、第十六師団、各五百名として約二千名。
これは根拠はなく、まったくの推定に過ぎない。第一線部隊とすれば、戦闘行為の継続と考えていたのかも知れないが。
(6)その他、城内、城外敗残兵の掃蕩
下関を含む各所で処分しているが、これは、不法行為とは断定できない。
(「偕行」1985年5月号 P8)
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「証言の重さ」について
編集委員 細木重辰
(略)
初陣であられた畝本氏が南京戦における国軍の潔白を信じ、それを証明したいと念じられたのは、私自身の乏しい戦場体験に照らしても当然です。その立論の根拠はまずご自身の実戦体験であり、その動機は戦後数十年を閲して突然にして報道されたかの莫々大な「数字」です。
ところが私どもにとって最も衝撃であったのは探索のすえ歩兵第三十三聯隊の戦闘詳報のちぎれ残った紙片の中から初めて「俘虜ハ処断ス」の文字を見出したときで、その時に畝本氏が洩らされた苦渋に満ちた「困った」の一言はよく覚えております。これは一面、氏の誠実さを物語るものでありますが、私どもも一次資料のその重さ、怖さを身にしみて感じました。
その後、お読みのように甚だ遺憾な証言・書証が多く発掘されてきたのですが、「南京で何が行われたか」を明らかにするという自らに課した編集態度は、どんなにつらくてもくずすわけにはまいりません。
(以下略)
(「偕行」1985年5月号 P8〜P9)
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畝本正己氏が\xA1
これは メッセージ 10597 (nmwgip さん)への返信です.