加登川論文の偏断
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/07/05 23:17 投稿番号: [10597 / 41162]
それまで限りなくシロに近いという論旨で書かれていた「証言による『南京戦史』」が、最後の総括になって何故いきなり謝罪調になってしまったのか。
それは加登川氏の以下の個人的スタンス、これに同調する編集部の方針による。
『・・・従っていわゆる「南京事件」については日本軍が「シロ」であったとは、筆者(加登川氏)は初めから認識していない。・・・』
『・・・だが全軍としてまとめて見る場合、戦争という異常事態の場で、「不法行為がゼロであった」という戦場が、古往今来、どこかにあったであろうか。・・・』
『・・・ゆえに「ゼロ」を立証することは、戦争である以上、初めから出来ない話なのである。・・・』
『・・・しかし反面、この2年にも近い修史作業の間、何度かわれわれの側と畝本君の間に、起きた事象に対する見解の相違が表面化してきた。どんなところに見解の違いが現れたのかを簡単に述べると、それは両者の採ったアプローチの差によるものであった。
畝本君は、できるだけ「シロ」の事例を収集し巷間に伝えられる誇大な死者の数字を排撃して「灰色の薄かったこと」を立証し参戦者の名誉を回復しようとする傾向があった。これに対してわれわれの側は、つとめて門戸を開き「クロ」は「クロ」なりにその史料を検討して、この事件全般の灰色度を判定しようとする態度をとった。・・・』
『・・・こうした間に畝本君は、その本意でないこともあったろうが、「『偕行』に載る歴史書なのだから」という編集部の意見を諒解して、極めて柔軟に対応してくれた。・・・』
『・・・実際のところ畝本君による戦史に証言された方々の多くにしても、南京攻略戦末期の過剰なる殺戮のかなりは、南京城攻略の戦闘行為の延長上にあるのだ、と確信しておられるようであるが、捕虜にとるまでの戦闘行為と、捕虜にしてからの扱いとは峻別して論じなければならない。・・・』
『・・・筆者は「クロ」だとする真実の証拠がどれだけ集まるかがカギだと思っていた。・・・』
(『「証言による南京戦史」<その総括的考察>』より引用)
ここから見て取れるのは、加登川氏を始めとする編集部が、中立というより寧ろ「クロ」の証言集めに熱心だったということである。それが「大虐殺」を否定する唯一の道だと善意で信じていたのだろうが、思い違いも甚だしい。本人は『「クロ」は「クロ」なりにその史料を検討して』と自賛しているが、「捕虜にとるまでの戦闘行為と、捕虜にしてからの扱いとは峻別して論じなければならない」の一文を見る限り、まず結論があってそこから史料を解釈しているようにしか思われない。
捕虜にしたか、しなかったか、捕虜としなければならなかったか、それとも捕虜にしなくてもよかったのかが「証言による『南京戦史』」においても「南京戦史」においても力点を置いて論じられているのに、その部分がまるで考慮されていない発言だ。
挙句に『「クロ」だとする真実の証拠がどれだけ集まるかがカギ』との思い込みの下、信憑性の極めて低い「角証言」にかなりの紙面を割く有様。
そしてここにはまた、畝本氏が先輩に当たる加登川氏の面子を立てるために変節を強いられている姿がある。畝本氏の認識は最初から「南京戦史」に書かれたとおり、あるいはそれよりずっと日本軍潔白説に近いものだったことが窺える。
ここには政治的バイアスなど無い。
秦郁彦がどんな妄言を並べようとも、畝本氏は自己の検証に基づいて虐殺否定論を展開している。
政治的かどうかは別にして、バイアスがかかっていたのはこの総括を書いた加登川氏を始めとする「偕行」編集部だと言われても仕方が無い。
戦時犯罪が一件も無かった、ということと、「南京大虐殺は無かった」ということは全く別であり、このことは加登川論文にも認識されている。
ところが、完全な潔白はありえないという思い込みから違法殺害を過大に評価したがるなど、本末転倒もいいところだろう。
尚、『「証言による南京戦史」<会員投稿に答える>』において、編集委員の細木氏より次のような発言があることを付け加えておく。
『・・・我々としては「目撃者」までは迫り得ましたが、ついに「実行者」の証言は“1件たりとも”得ることはできませんでした。・・・』
それは加登川氏の以下の個人的スタンス、これに同調する編集部の方針による。
『・・・従っていわゆる「南京事件」については日本軍が「シロ」であったとは、筆者(加登川氏)は初めから認識していない。・・・』
『・・・だが全軍としてまとめて見る場合、戦争という異常事態の場で、「不法行為がゼロであった」という戦場が、古往今来、どこかにあったであろうか。・・・』
『・・・ゆえに「ゼロ」を立証することは、戦争である以上、初めから出来ない話なのである。・・・』
『・・・しかし反面、この2年にも近い修史作業の間、何度かわれわれの側と畝本君の間に、起きた事象に対する見解の相違が表面化してきた。どんなところに見解の違いが現れたのかを簡単に述べると、それは両者の採ったアプローチの差によるものであった。
畝本君は、できるだけ「シロ」の事例を収集し巷間に伝えられる誇大な死者の数字を排撃して「灰色の薄かったこと」を立証し参戦者の名誉を回復しようとする傾向があった。これに対してわれわれの側は、つとめて門戸を開き「クロ」は「クロ」なりにその史料を検討して、この事件全般の灰色度を判定しようとする態度をとった。・・・』
『・・・こうした間に畝本君は、その本意でないこともあったろうが、「『偕行』に載る歴史書なのだから」という編集部の意見を諒解して、極めて柔軟に対応してくれた。・・・』
『・・・実際のところ畝本君による戦史に証言された方々の多くにしても、南京攻略戦末期の過剰なる殺戮のかなりは、南京城攻略の戦闘行為の延長上にあるのだ、と確信しておられるようであるが、捕虜にとるまでの戦闘行為と、捕虜にしてからの扱いとは峻別して論じなければならない。・・・』
『・・・筆者は「クロ」だとする真実の証拠がどれだけ集まるかがカギだと思っていた。・・・』
(『「証言による南京戦史」<その総括的考察>』より引用)
ここから見て取れるのは、加登川氏を始めとする編集部が、中立というより寧ろ「クロ」の証言集めに熱心だったということである。それが「大虐殺」を否定する唯一の道だと善意で信じていたのだろうが、思い違いも甚だしい。本人は『「クロ」は「クロ」なりにその史料を検討して』と自賛しているが、「捕虜にとるまでの戦闘行為と、捕虜にしてからの扱いとは峻別して論じなければならない」の一文を見る限り、まず結論があってそこから史料を解釈しているようにしか思われない。
捕虜にしたか、しなかったか、捕虜としなければならなかったか、それとも捕虜にしなくてもよかったのかが「証言による『南京戦史』」においても「南京戦史」においても力点を置いて論じられているのに、その部分がまるで考慮されていない発言だ。
挙句に『「クロ」だとする真実の証拠がどれだけ集まるかがカギ』との思い込みの下、信憑性の極めて低い「角証言」にかなりの紙面を割く有様。
そしてここにはまた、畝本氏が先輩に当たる加登川氏の面子を立てるために変節を強いられている姿がある。畝本氏の認識は最初から「南京戦史」に書かれたとおり、あるいはそれよりずっと日本軍潔白説に近いものだったことが窺える。
ここには政治的バイアスなど無い。
秦郁彦がどんな妄言を並べようとも、畝本氏は自己の検証に基づいて虐殺否定論を展開している。
政治的かどうかは別にして、バイアスがかかっていたのはこの総括を書いた加登川氏を始めとする「偕行」編集部だと言われても仕方が無い。
戦時犯罪が一件も無かった、ということと、「南京大虐殺は無かった」ということは全く別であり、このことは加登川論文にも認識されている。
ところが、完全な潔白はありえないという思い込みから違法殺害を過大に評価したがるなど、本末転倒もいいところだろう。
尚、『「証言による南京戦史」<会員投稿に答える>』において、編集委員の細木氏より次のような発言があることを付け加えておく。
『・・・我々としては「目撃者」までは迫り得ましたが、ついに「実行者」の証言は“1件たりとも”得ることはできませんでした。・・・』
これは メッセージ 10596 (nmwgip さん)への返信です.