南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

虐殺は嘘1 人口からの考察1

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/01 20:16 投稿番号: [10401 / 41162]
そもそも、日本軍による占領後に南京の人口が増えたのだから、虐殺なんてあった筈がない。


南京で戦闘が始まった12月12日の夜には南京の人口は20万人で、しかも、ほぼ全市民が安全区に避難していた。


まずは、南京の人口推移から。


●1937年11月〜12月の南京の人口推移


1937/11/23日「50万」
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
南京市政府書簡(南京事件P220   笠原十九司)


11/27「30〜40万」
在留外国人に対して「避難勧告」が出された。
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」
米大使館報告   (アメリカ資料編P90)


12/6「約20万」
なぜ。金持ちを、約80万という恵まれた市民を逃がしたんだ?
(ラーベの日記P96)

陥落直前の南京の人口に関する資料
―――――――――――――――――――
安全委員会公文書【20万人の市民】
ステール【10万人の市民】
アベンド【10万人以上】
ダーディン【10万を越す非戦闘員たち+民間人は5万以上】
ラーベ【20万人】
リリー・アベック【15万人】
米ライフ紙【15万人の南京市民】
張群思少佐【非戦闘員10万】
劉啓雄少将【20万】
松井大将【12万余】
―――――――――――――――――――

以上の資料を総合してみると、12月13日、南京陥落時点の南京の人口は、【10万人から最高20万人】の間とみて間違いなく、陥落後の生存人口が約25万人(安全委員会公文書)だから人口は増えた。



■日本軍が南京を占領してからは、減るどころか逆に増えている。

そして、南京で戦闘が始まる前に、多くの市民が南京を脱出したが、そのうちの多くは日本軍が開放した上海に行っていた。


もう一度、南京の人口推移を長い期間で見てみる。


●1937年前半(支那事変以前)〜1938年9月の南京の人口推移


1937年前半    「100万人」
  ↓
11月初旬〜11月23日   「50万人」(支那軍が南京に来て減少)
  ↓
11月27日    「30〜40万」
  ↓
12月13日    「20万」
  ↓
1938年1月14日   「25万人」(日本軍が占領し支那軍が南京を去ったため増加に転じる)
  ↓
1938年9月23日   「45万人」


・1938年9月23日「45万人」の資料

『文藝春秋』P193   第十六巻   第十九號   昭和十三年十一月特別號 (1938年)
  従軍通信/上海より廬州まで/瀧井孝作
  九月二十三日。晴。南京にて。
  午前九時、特務機関に行く。大西大佐より南京施政状況の説明あり。人口は戦前は百萬そのうち二十五萬漢口に行き、二十五萬は上海に在り、五萬は香港に行き、現在は四五十萬どまりなり。


しばらく南京に戻って来なかった人々のうち、漢口に行っていた25万人は支那の政府関係者が多く、上海に行っていた25万人は一般市民だから、やはり市民は日本軍の居る上海に行っていたのだ。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)