東洋鬼②
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2006/06/30 08:43 投稿番号: [10332 / 41162]
不安と焦燥のあまり、食べるものも食べられず、勿論与えられもしなかった。
老人、子供、婦人と、血の気を失い、下をうつむいて、歩ませられるがままに、力ない歩みを運んでいる姿は、一歩一歩刑場に近づいているのである。突然「パンパン」とすさまじい発砲が静寂を破った。厳重な警戒の中を逃亡したのである。一斉に緊張した警戒兵は、一人も逃さじと執拗な警戒に入った。一列に並んでいる農民の列は、部落の端から端まで長く続いた。死の歩みを続けてきた先頭は部落の東端で停止し、その列の中から男だけを選んで五、六人一列横隊に並ばせ、男といっても老人組が多かった。第一期検閲が終ったばかりの初年兵にとっては初陣であり、銃剣術の刺突訓線もいよいよ本日は、真物を実験台にできるというわけである。
好機至れりで、功名心をいやが上にもかりたたせ、さあ初年兵から、かかれっ、とばかり古年次兵が叫んだ。私は教育係をしていた関係上、初年兵の手前何事にも模範たるべきと、このことにも躊躇することを恥じた。黒いよれよれの中国服で身を固めた、壮年者であり、純然たる農民であった。銃剣を構え、突撃の態勢を整え、私は夢中で一人を突き刺した、ブスッウという鈍い音が体に伝わってきた、悪魔は私に魅力を感じたのか蛮勇が振いたった。第二列、第三列と、農民の多くが鮮血を大地に吸い込ませ、恨み深く解放の礎となっていった。
今度は、老幼婦女子を生き埋めするときが来た。中国の井戸は入口が直径五・六十糎もあろうか、人が飛び込む余裕はあった。
井戸には囲いはなく、穴の付近にいってやや慢頭型の丸みをし、穴から井戸を覗くと段々巾広く、内部の直径は一米五・六十糎はあり、深さは十米以上もあった。
井戸の入口に向い合った私ともう一人の兵隊は、押し込め役だった。井戸の中へ飛び込むのを恐れて、穴の向い側に飛び越すのを防ぐため二人が向い合った。最後のときが来た。農民の第一人目は井戸の傍らに歩み寄せられた。小隊長は小高い一角に立って、民衆に向い、この世の最後のはなむけの言葉をおくった。
お前達もいよいよ最後のときがきた、再びこの世に生まれてくるときは、決してこのような思想をもってきてはいけない。お前たちの冥福を祈る、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、さあ開始、入れろ、の号令一下、私は夢中で第一人目を押し入れた、次から次へと夢中で押し入れた、老母も、老爺も、三才の男子も、五才の女子も、三十五・六才の婦人が、乳呑み子を抱いたまま、深い深い井戸の中へ落ちていった。
落ちてゆく人々が積み重なってもがく、苦悶のうめき声がかすかに井戸の上の空気をふるわしていた。
押し込み役を、何人か交代して詰め込んだ人の数は百人を越えたのではなかろうか。
八分目の辺まで詰め終ったとき、こんどは上から土や石を詰め込み、ギュウ、ギュウ、踏みつけ、土慢頭のように穴は完全に塞がった。苦悶の身動きなどをする間もなく、体と体は密着し、箱に詰められた冷凍魚のようになって窒息死し、大地と同化した。
なお井戸の中に入れきれず、残ったものは、捕獲縄で一人一人をまるめ、約十人ぐらいを纏め、薪の束のようにし、その束いくつかの真中に箱詰めのダイナマイトを仕掛け、爆破をかけた。爆音とともに飛散した赤い人肉が、火薬の臭いと入り混って大地に散乱した。
春秋の村祭りも、仲秋節も、胡弓の響きも、人の声も、伝統や習慣の一切が消えていった。続いて悪魔の火は放たれ、家々は焼かれていった。日本侵略軍の蛮行は各小隊、中隊毎に連隊作戦としてこの地区に行われたのである。
(ふるや えいいち 中国帰還者連絡会賛助会員)
【略歴】
本籍・神奈川県
私は農村の商家に生まれ、補修学校を卒業、家事に従事。
1939年中国に侵略。北支派遣、前田治郎部隊、見城部隊、森田部隊、小田隊、に入隊。1940年連隊作戦に参加、河南省に於いて私が上等兵のときおこなった罪業です。
老人、子供、婦人と、血の気を失い、下をうつむいて、歩ませられるがままに、力ない歩みを運んでいる姿は、一歩一歩刑場に近づいているのである。突然「パンパン」とすさまじい発砲が静寂を破った。厳重な警戒の中を逃亡したのである。一斉に緊張した警戒兵は、一人も逃さじと執拗な警戒に入った。一列に並んでいる農民の列は、部落の端から端まで長く続いた。死の歩みを続けてきた先頭は部落の東端で停止し、その列の中から男だけを選んで五、六人一列横隊に並ばせ、男といっても老人組が多かった。第一期検閲が終ったばかりの初年兵にとっては初陣であり、銃剣術の刺突訓線もいよいよ本日は、真物を実験台にできるというわけである。
好機至れりで、功名心をいやが上にもかりたたせ、さあ初年兵から、かかれっ、とばかり古年次兵が叫んだ。私は教育係をしていた関係上、初年兵の手前何事にも模範たるべきと、このことにも躊躇することを恥じた。黒いよれよれの中国服で身を固めた、壮年者であり、純然たる農民であった。銃剣を構え、突撃の態勢を整え、私は夢中で一人を突き刺した、ブスッウという鈍い音が体に伝わってきた、悪魔は私に魅力を感じたのか蛮勇が振いたった。第二列、第三列と、農民の多くが鮮血を大地に吸い込ませ、恨み深く解放の礎となっていった。
今度は、老幼婦女子を生き埋めするときが来た。中国の井戸は入口が直径五・六十糎もあろうか、人が飛び込む余裕はあった。
井戸には囲いはなく、穴の付近にいってやや慢頭型の丸みをし、穴から井戸を覗くと段々巾広く、内部の直径は一米五・六十糎はあり、深さは十米以上もあった。
井戸の入口に向い合った私ともう一人の兵隊は、押し込め役だった。井戸の中へ飛び込むのを恐れて、穴の向い側に飛び越すのを防ぐため二人が向い合った。最後のときが来た。農民の第一人目は井戸の傍らに歩み寄せられた。小隊長は小高い一角に立って、民衆に向い、この世の最後のはなむけの言葉をおくった。
お前達もいよいよ最後のときがきた、再びこの世に生まれてくるときは、決してこのような思想をもってきてはいけない。お前たちの冥福を祈る、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、さあ開始、入れろ、の号令一下、私は夢中で第一人目を押し入れた、次から次へと夢中で押し入れた、老母も、老爺も、三才の男子も、五才の女子も、三十五・六才の婦人が、乳呑み子を抱いたまま、深い深い井戸の中へ落ちていった。
落ちてゆく人々が積み重なってもがく、苦悶のうめき声がかすかに井戸の上の空気をふるわしていた。
押し込み役を、何人か交代して詰め込んだ人の数は百人を越えたのではなかろうか。
八分目の辺まで詰め終ったとき、こんどは上から土や石を詰め込み、ギュウ、ギュウ、踏みつけ、土慢頭のように穴は完全に塞がった。苦悶の身動きなどをする間もなく、体と体は密着し、箱に詰められた冷凍魚のようになって窒息死し、大地と同化した。
なお井戸の中に入れきれず、残ったものは、捕獲縄で一人一人をまるめ、約十人ぐらいを纏め、薪の束のようにし、その束いくつかの真中に箱詰めのダイナマイトを仕掛け、爆破をかけた。爆音とともに飛散した赤い人肉が、火薬の臭いと入り混って大地に散乱した。
春秋の村祭りも、仲秋節も、胡弓の響きも、人の声も、伝統や習慣の一切が消えていった。続いて悪魔の火は放たれ、家々は焼かれていった。日本侵略軍の蛮行は各小隊、中隊毎に連隊作戦としてこの地区に行われたのである。
(ふるや えいいち 中国帰還者連絡会賛助会員)
【略歴】
本籍・神奈川県
私は農村の商家に生まれ、補修学校を卒業、家事に従事。
1939年中国に侵略。北支派遣、前田治郎部隊、見城部隊、森田部隊、小田隊、に入隊。1940年連隊作戦に参加、河南省に於いて私が上等兵のときおこなった罪業です。
これは メッセージ 10331 (kim_taek_joo さん)への返信です.