南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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東洋鬼①

投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2006/06/30 08:42 投稿番号: [10331 / 41162]
東洋鬼

古屋栄一


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■故・古屋栄一氏は中帰連の賛助会員であり、戦犯勾留の体験はない。

  1940年4月、河南の春はのどかな日本の内地とさほど違わぬ気候であった。中原会戦が5月1日行動開始であったから4月初旬のことである。今度の作戦は中原作戦の下準備、つまり足ならしであるという噂がたち、二年兵の上等兵であった私は、初年兵教育の第一期が終了し、功名心に殺気立っていたころである。部隊は新郷を出発し、湯蔭県に集合、部隊編成を行った後、共辺地区の赤化部落の掃討に向った。貨車の中には鋸が満載され、勿論この鋸は中国製のもので、各部隊の駐屯地周辺の部落から集めたものである。

  一体なんの討伐だろうと、現地に着くまでは、われわれ兵隊にはその真相は掴めず、擲弾筒手であった私は榴弾が股の辺に当たり、砂地の行軍には困難した。平和な部落の夕暮れも、急にざわめきたって来たかのように、不穏な空気をかもしていた。大した抵抗もなく大部隊は滑り込むように現地に到着した。疲労と、空腹に、たまりかねたわれわれは、農民の家になだれ込み宿営準備にとりかかった。アンペラ、鍋、鶏、豚、小麦粉、油と、飢えた動物のように家の中を探しまわりかき集めた。大部隊が平和な部落になだれこんだので一概にして農民の大切な食糧はなめつくされ、逃げ遅れた老幼婦女子だけが、日本軍の威圧の前にはどうすることもできず、部落の一ヵ所に集められた。昨夜までは人の笑い声もし、すべての営みが平和に行われていたこの部落も、今宵はなんという運命の違いであろう。

  いくばくもない運命の最後を予想しながら、東洋鬼(日本軍)のなすがままに、おののきふるえていたのである。この地区は砂地地帯で、穀物には不適のため、限りなく続く棗(なつめ)と落花生が農民の生活の支柱であった。主食である粟や小麦は他の地方へいって交換していたのであろう。棗の木は直径三・四十糎(センチ)はざらにあり、3・40年を経ているものであろう。部隊はいよいよ明日から戦闘開始だ。一帯に続く棗林を伐採すべしの命令が下がった。

  鋸は二人に一丁ずつ分配され、伐採作業は威勢よく始められた。伐り倒した本数を分隊毎に報告、伐採作業は二日ぐらい続き、原野と変り果てた面積は広大に及んだ。これほど極悪非道の罪悪はあるまい、穀物なら一年経てばとれるものを、棗の木に限ってはそんなたやすいものではない。農民が精魂込めて育て上げた、30年40年の汗と血の結晶である。伐り倒されたくやしさに、老いた農民は、泣いて泣いて、泣きとおしたことであろう。なんのために、善良なる農民をこれまでして苦しめねばならなかったのであろうか。

  この辺一帯は共産地区であるということが原因であった。先ずそこに、人間が住めないようにするために、食糧の根本を絶滅することに作戦の意図があったのである。

  鈍い昼間の太陽が陰惨な光を投げ、部落一帯は静寂そのものであった。日本侵略軍の首謀はそれでもあきたらず、人間の一切を抹殺すべしと恐るべき命令を下した。身の毛がよだち、身ぶるいを覚え、老人も、婦人も、子供も、赤子も、消えてゆくことなのである。その追いつめられた人々の心理に反して、侵略者共の心は躍っていたのである。

  初年兵の初陣に遅れをとらせまじと、私は蛮勇を振いただして、人間性の一片すらもなかった。部落の一カ所に封じ込められた老幼婦女子の群は、厳重な警戒の中に何日かをすごし、いよいよ兵隊の誘導に従って一列に、腰を曲げながら歩いている老人夫婦、三才、五才、十才と入り混じる子供達の姿、中年の婦人が乳呑み子を自分の服の下に入れて、抱いてゆく姿、警戒兵は一米間隔ぐらいに、銃剣を突きつけて、逃亡を防ぎながら部落の東端に向って進んでいた。
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