Re: 【アカデミックには主流】だって!?
投稿者: VEA00433 投稿日時: 2007/05/05 19:37 投稿番号: [54497 / 230347]
「倭」という言葉が初めて出てきたのは、紀元前三世紀ごろの戦国時代末期「前漢」の中国の地理書「山海経」であるといわれる。
それによると、「倭」は現在の遼東半島(北朝鮮と中国の国境あたり)の北にあると記載されている。
ところが紀元前後になれば「前漢書」によると、南朝鮮の黄海に面した沿岸地方にあり、百余国に分かれていた、とある。
さらに三世紀ごろの「魏志東夷伝」によると、朝鮮南端(任那)と日本列島の北九州にあったとされている。
この「倭」という種族は、騎馬民族のごとく疾風のように通り抜けたのではなく、根拠地を作っては、徐々に東へ東へと移動していったのである。
倭国王が後の宋の文帝に対して、『倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国安東大将軍』などと南朝鮮諸国を全部配下にする要求を出したことが「宋書」に記載されているが、倭は朝鮮半島の各地に一時的に拠点を作り支配しながら、東へと移動してきたのである。
この中国人でも韓国人でもないといわれる倭はその後、北九州に勢力を移す。その時既に先遣隊は先住民族を懐柔あるいは戦闘勝利することで但馬、丹波、伊賀、伊勢に拠点を作りあげていたという。
その時既に、南中国やインドシナ方面から稲作が伝えられていた。それはまさに便利で味のよい食料であった。そこで彼らは、こここそ「約束の地」であるとして最終居住地点にしたのである。
「日本書紀」では、崇神天皇の「ミマキイリヒコ」の名前をもとに、その国名を「任那」にしたと書いてあるが、これは任那から崇神天皇が来たということを逆の話にしたものであって、「日本書紀」の中では時折見られる逆の言い回しの一例である。
神武天皇は「ハツクニシラススメラミコト」とされていて、初代天皇になっているが、第十代の崇神天皇もまた「ハツクニシラススメラミコト」となっており、初代天皇が二人いることになる。これはおかしい。
これは天皇家の権威を高める、あるいは日本古来から支配しているということにするための政策上の必要から、故意に歴史を古くする操作を行って、本当の天皇ではない名前を多く重ねたり、さらに神秘的な世界を作って、多くの神々を登場させたりして、「古事記」や「日本書紀」にまとめあげた、と考えられる。
歴史学者は、一般に事実上の初代天皇は崇神天皇としている。
これは メッセージ 54418 (yokokaratatehe さん)への返信です.
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