靖国問題の基礎知識3
投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/08/07 13:24 投稿番号: [467 / 230347]
Q
神道とは何ですか?
A ええぃ、しつこい! そんなに言うのなら答えます。間違っててもしらないよ!(笑)
神道とは「神惟(かんながら)の道」のことで、神様をもてなし、そのことによって豊か
で平和な暮らしを得ようとする古来の宗教です。もともと神道には教義と言えるものはあ
りません。仏教の教義に触発され「神道五部書」などというものが後代に作られましたが、
あくまで神事(かみごと)はあっても教義がないのが神道です。『古事記』上巻や『日本
書紀』神代巻などの神話は、確かに神道の神話と言えるのですが、あれはあくまでも統治
者としての天皇家に関わり、それに都合のいい部分の編纂ですから、基底的な神道はもっ
と広いところで捉える必要があります。またもともとの神道には社殿もありません。現存
する社殿の形式は、仏教の到来に刺激されて作られたものです。それでは何が必要かとい
うと「御神体」だけなんです。
神道の御神体は、神様そのものではありません。あれは神の寄り代(よりしろ)です。
八百万(やおよろず)の神というように、日本人は山川草木いろいろなものに神威を感じ
神として捉えました。また物だけではなく、さまざまな事象も神として捉えられてもいま
す。ただそれら神の本体と申しますか神霊は「ちはやぶる」ものであり、道(ち)などの
通路(脈)をすばやく行ったり来たりする(はやぶる)形態のないものだったのです。
それを客(まれびと〜まらうど)として接待する、その接待のことをお祭り(祭祀)と
呼んだのです。こちらから招請する時は、拍手を打ったり鐘を鳴らしたりして神に寄り代
に来ていただきます。「まつる」の語源として、物品を捧げたてまつる行為の「まつる」
からとする説があるように、来ていただくのは幣帛などを捧げて接待するためなのです。
そして神の側から現われるのは「たつ・あり」で「祟り」として捉えられました。今では
悪霊の災いとしてしか考えられていない「たたり」も、神威の現われ全般として考えられ
ていたのです。
平安時代に編まれた『延喜式』の祝詞などには天皇を「神等をば天つ社、国つ社と忘る
ることなく、遺つることなく称辞(たたへごと)竟へまつる」者として(つまりすべての
神をもらさずに祭る者として)祭祀者の代表と表現するものもみられますが、実際に天皇
が祭祀者として機能していたのは、推古以前、仏教伝来以前のかなり古い時代までで、特
に仏教到来以降は、仏教自体が統治のため、政事(まつりごと)のための道具として考え
られましたから、天皇自らが祭祀を執り行うのは大嘗祭・新嘗祭等の限られた時に限定さ
れてしまっていました。またさらに言えば、なにも天皇の権威が全ての神事に及んでいた
わけでもありません。「たたり」はどこでも起こり得たのですから。
人神(ひとがみ)も神道では稀なものではありません。古来多くの人神は「御霊(怨霊)」
として祟るほどの存在である人がなりました。菅原道真が北野天神となったのもそうです
し、崇徳上皇もそうでした。近年で言えば祟り神的なものではない乃木希典大将が乃木神
社の祭神となったのもそうですし、靖国神社の「英霊」もその一つの形だと考えられます。
A ええぃ、しつこい! そんなに言うのなら答えます。間違っててもしらないよ!(笑)
神道とは「神惟(かんながら)の道」のことで、神様をもてなし、そのことによって豊か
で平和な暮らしを得ようとする古来の宗教です。もともと神道には教義と言えるものはあ
りません。仏教の教義に触発され「神道五部書」などというものが後代に作られましたが、
あくまで神事(かみごと)はあっても教義がないのが神道です。『古事記』上巻や『日本
書紀』神代巻などの神話は、確かに神道の神話と言えるのですが、あれはあくまでも統治
者としての天皇家に関わり、それに都合のいい部分の編纂ですから、基底的な神道はもっ
と広いところで捉える必要があります。またもともとの神道には社殿もありません。現存
する社殿の形式は、仏教の到来に刺激されて作られたものです。それでは何が必要かとい
うと「御神体」だけなんです。
神道の御神体は、神様そのものではありません。あれは神の寄り代(よりしろ)です。
八百万(やおよろず)の神というように、日本人は山川草木いろいろなものに神威を感じ
神として捉えました。また物だけではなく、さまざまな事象も神として捉えられてもいま
す。ただそれら神の本体と申しますか神霊は「ちはやぶる」ものであり、道(ち)などの
通路(脈)をすばやく行ったり来たりする(はやぶる)形態のないものだったのです。
それを客(まれびと〜まらうど)として接待する、その接待のことをお祭り(祭祀)と
呼んだのです。こちらから招請する時は、拍手を打ったり鐘を鳴らしたりして神に寄り代
に来ていただきます。「まつる」の語源として、物品を捧げたてまつる行為の「まつる」
からとする説があるように、来ていただくのは幣帛などを捧げて接待するためなのです。
そして神の側から現われるのは「たつ・あり」で「祟り」として捉えられました。今では
悪霊の災いとしてしか考えられていない「たたり」も、神威の現われ全般として考えられ
ていたのです。
平安時代に編まれた『延喜式』の祝詞などには天皇を「神等をば天つ社、国つ社と忘る
ることなく、遺つることなく称辞(たたへごと)竟へまつる」者として(つまりすべての
神をもらさずに祭る者として)祭祀者の代表と表現するものもみられますが、実際に天皇
が祭祀者として機能していたのは、推古以前、仏教伝来以前のかなり古い時代までで、特
に仏教到来以降は、仏教自体が統治のため、政事(まつりごと)のための道具として考え
られましたから、天皇自らが祭祀を執り行うのは大嘗祭・新嘗祭等の限られた時に限定さ
れてしまっていました。またさらに言えば、なにも天皇の権威が全ての神事に及んでいた
わけでもありません。「たたり」はどこでも起こり得たのですから。
人神(ひとがみ)も神道では稀なものではありません。古来多くの人神は「御霊(怨霊)」
として祟るほどの存在である人がなりました。菅原道真が北野天神となったのもそうです
し、崇徳上皇もそうでした。近年で言えば祟り神的なものではない乃木希典大将が乃木神
社の祭神となったのもそうですし、靖国神社の「英霊」もその一つの形だと考えられます。
これは メッセージ 466 (uumin3 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/467.html