靖国問題の基礎知識4
投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/08/07 13:25 投稿番号: [468 / 230347]
Q
人は死んだら「ほとけ」になるのでは?
A もともと「仏(ほとけ)」というのは仏教語です。仏教としては、本来の仏は「正覚を
得たもの・覚醒者」で、輪廻転生の輪から抜け出る「解脱」できた者です。釈尊の後は、
受戒して修行したもののみがなれました。大乗仏教になって、菩薩行を行うものの力によ
り衆生は誰でも仏になれる(菩薩はその救済を行う者)ということになりました。それが
拡大されて山川草木悉有仏性(すべての存在は仏になる要因を内在している)という具合
に(時代的・地理的に)変容していきました。ちなみに大乗以前の上座部仏教は東南アジ
アやチベットに残っています。
日本では、死ねば他界へ行くとされていました。他界は今の言葉でいう「あの世」です。
他界は場合によっては山(山中他界)や海(海上他界)などにも想定されていましたが、
有名なのは古事記に登場する黄泉の国でしょう。黄泉津比良坂を越えて行くところです。
天皇神話が取り込んだのは黄泉国だけ(海上他界も出るが死者の国ではない)でしたが、
これが遍く日本人の信仰であったかというとそんなことはないでしょう。
さて仏教が入ってきて千年以上になりますが、観念を様々に変容させながら仏教は土着
化していきました。その中での「ほとけ」なのです。葬式仏教に限って言いますと、死者
にまず戒名が与えられます、これは受戒した=仏弟子となったことを意味します。次に読
経です。仏教では死後四十九日間は魂が「中有」というところにあって、次に転生すると
なっていまして、その四十九日間に魂を説得し(というか経典を勉強して解脱してもらっ
て)輪廻の輪から抜けてもらおうとするのが読経の意味です。で、四十九日を過ぎると無
事に「仏」ができるというわけです。
ですが、日本人の宗教観は非常に重層的になっております。葬式仏教はそれはそれで一
つの建前で、例えばお盆に祖霊が帰ってくるというのは、全く非仏教的な考え方です。仏
教にしても、例えば浄土真宗では生前一度でも「南無阿弥陀仏」を唱え、心から弥陀の本
願を信じれば、それだけで浄土に往生できるとされていますから、本来的には葬儀は不要
なはずですし…。(ちなみに浄土に往生=生まれ変わった人は、そこでありがたい説法を
聞いて、その次の段階で成仏する手筈になっています)
そしてまた祖霊信仰というものがあります。祖霊信仰というのは柳田國男が指摘したも
ので、これは民間の信仰として、人が死ねば山の上の他界へ行く、他界から毎年一度魂が
降りてくる、五十年経つと個々の魂は「祖霊」という大きな存在に入って行く、といった
ものが民衆の間にあったとするものです。
本来的?には仏壇にご先祖という取り合わせはおかしいといえばおかしいのです。ですが
宗教的寛容性とか、教義に詳しくなれない庶民の立場とか、神道にはもともと教義が無いと
か…そういった様々なことが影響して、素朴な形で現在の宗教観があるわけです。
ごく一般に言えば、日本人の宗教観においては死後も「死者の魂」は存続します。その一
つの呼び名が「ほとけ」という語(借り物)なのです。
Q 祖霊信仰と靖国は関係ありますか?
A 戦死者のご遺族にとっては、自分の父や祖父が(別に護国の鬼になってなくても)魂とし
てどこかに存在し、靖国神社に行けばその魂と会えると考えるところなどは、靖国神社参拝
と祖霊信仰の重なっているところでもあると言えるわけですが(神社側がどう考えているか
は別にして)、それはあくまでも戦死者のご家族に限ったもので、そうでない人にとっては
靖国は祖霊信仰と直結したものではありません。
本来的には神道は死者の穢れを言います。ですからごく一部(奈良山中の某神社など)を
除いて、死者儀礼に神道は関わりませんでした。靖国は、死者の魂ということではなく「神」
として祀ることにより死穢を問題にせずに済んでいます。その意味で特別な神社といえば、
そう言えます。
A もともと「仏(ほとけ)」というのは仏教語です。仏教としては、本来の仏は「正覚を
得たもの・覚醒者」で、輪廻転生の輪から抜け出る「解脱」できた者です。釈尊の後は、
受戒して修行したもののみがなれました。大乗仏教になって、菩薩行を行うものの力によ
り衆生は誰でも仏になれる(菩薩はその救済を行う者)ということになりました。それが
拡大されて山川草木悉有仏性(すべての存在は仏になる要因を内在している)という具合
に(時代的・地理的に)変容していきました。ちなみに大乗以前の上座部仏教は東南アジ
アやチベットに残っています。
日本では、死ねば他界へ行くとされていました。他界は今の言葉でいう「あの世」です。
他界は場合によっては山(山中他界)や海(海上他界)などにも想定されていましたが、
有名なのは古事記に登場する黄泉の国でしょう。黄泉津比良坂を越えて行くところです。
天皇神話が取り込んだのは黄泉国だけ(海上他界も出るが死者の国ではない)でしたが、
これが遍く日本人の信仰であったかというとそんなことはないでしょう。
さて仏教が入ってきて千年以上になりますが、観念を様々に変容させながら仏教は土着
化していきました。その中での「ほとけ」なのです。葬式仏教に限って言いますと、死者
にまず戒名が与えられます、これは受戒した=仏弟子となったことを意味します。次に読
経です。仏教では死後四十九日間は魂が「中有」というところにあって、次に転生すると
なっていまして、その四十九日間に魂を説得し(というか経典を勉強して解脱してもらっ
て)輪廻の輪から抜けてもらおうとするのが読経の意味です。で、四十九日を過ぎると無
事に「仏」ができるというわけです。
ですが、日本人の宗教観は非常に重層的になっております。葬式仏教はそれはそれで一
つの建前で、例えばお盆に祖霊が帰ってくるというのは、全く非仏教的な考え方です。仏
教にしても、例えば浄土真宗では生前一度でも「南無阿弥陀仏」を唱え、心から弥陀の本
願を信じれば、それだけで浄土に往生できるとされていますから、本来的には葬儀は不要
なはずですし…。(ちなみに浄土に往生=生まれ変わった人は、そこでありがたい説法を
聞いて、その次の段階で成仏する手筈になっています)
そしてまた祖霊信仰というものがあります。祖霊信仰というのは柳田國男が指摘したも
ので、これは民間の信仰として、人が死ねば山の上の他界へ行く、他界から毎年一度魂が
降りてくる、五十年経つと個々の魂は「祖霊」という大きな存在に入って行く、といった
ものが民衆の間にあったとするものです。
本来的?には仏壇にご先祖という取り合わせはおかしいといえばおかしいのです。ですが
宗教的寛容性とか、教義に詳しくなれない庶民の立場とか、神道にはもともと教義が無いと
か…そういった様々なことが影響して、素朴な形で現在の宗教観があるわけです。
ごく一般に言えば、日本人の宗教観においては死後も「死者の魂」は存続します。その一
つの呼び名が「ほとけ」という語(借り物)なのです。
Q 祖霊信仰と靖国は関係ありますか?
A 戦死者のご遺族にとっては、自分の父や祖父が(別に護国の鬼になってなくても)魂とし
てどこかに存在し、靖国神社に行けばその魂と会えると考えるところなどは、靖国神社参拝
と祖霊信仰の重なっているところでもあると言えるわけですが(神社側がどう考えているか
は別にして)、それはあくまでも戦死者のご家族に限ったもので、そうでない人にとっては
靖国は祖霊信仰と直結したものではありません。
本来的には神道は死者の穢れを言います。ですからごく一部(奈良山中の某神社など)を
除いて、死者儀礼に神道は関わりませんでした。靖国は、死者の魂ということではなく「神」
として祀ることにより死穢を問題にせずに済んでいます。その意味で特別な神社といえば、
そう言えます。
これは メッセージ 467 (uumin3 さん)への返信です.
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