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参政権問題小史(GHQ関連1)

投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/10/18 13:06 投稿番号: [1946 / 230347]
  GHQの在日朝鮮・韓国人に対する態度は二転三転します。はじめは単純に難民と考え、帰国事業を通じて
問題の処理にあたったのですが、折からの共産主義諸勢力との対抗政策の都合から(在日朝鮮人がかなり早い
段階から左翼勢力により組織化されたという経緯もあり)、むしろ行動を抑圧する態度が後に顕著になります。
彼等の帰属問題にしろ、一貫した姿勢がみられず、その時々で都合のよいように処理されていったと見た方が
適当と思われます。以下、和光大学教員のロバート・リケット氏の論文から適宜引用させていただきます。
(『占領期における地域社会と在日朝鮮人――地方史から見えてくるもの』)
  http://www.wako.ac.jp/souken/touzai_b01/tz_b0101.html

  1945年10月、在日本朝鮮人連盟(朝連)が形成され、日本に居留した約六五万人の朝鮮人の七〜八割、
四〇数万人がその傘下に入った。前後して、朝連の下に在日本朝鮮学生同盟(学同)、在日本朝鮮民主青年
同盟(民青)、在日本朝鮮民主女性同盟(女同)も形成された。朝連とは別に、四五年一一月に朝鮮建国促
進青年同盟(建青)、翌年一〇月に在日本朝鮮居留民団(民団)もつくられたが、当時はいずれも朝連と比
べると微力であった。

  朝連への参加率は当時の占領軍調査による。終戦時点では、約二四〇万人の朝鮮人が日本に滞在していた。
強制連行者をはじめとして、その大部分は一九四六年末まで帰国したが、戦前から日本を生活の場にせざる
を得なかった者などは居留した。帰国しても、祖国を真っ二つにした米ソ両大国の占領下で暮らし、しかも
家も土地も仕事もない状況で生活が成り立たず、日本に戻らなければならない者も少なくなかった。占領中
に在日朝鮮人の人口は一貫して約六五万人であった。

  朝連は、強制連行された人びとの不払い賃金を雇い主から取り戻し、帰国列車を自ら手配したり、自衛団
をつくったりした。さらに、左翼勢力とともに一九四六年五月のメーデーや食料メーデー、反政府デモに力
を合わせ、警察との小競り合いを辞さないだけでなく、財産税などの納税義務を拒み、連合国民扱いや民族
教育などの民族自主権を強く要求した。

  だが、そうした志向にGHQは真っ向から反対した。指導部の共産党への編入という点においても、占領
軍は早い時期から朝連をマークしていた。

  GHQは、在日朝鮮人を「法の枠外」に「治外法権」を確保しようとする「不穏な、法も権限も無視する
少数民族」として捉えた。そして「占領軍政策の成功にとって重大な障害」になりかねないという危惧をも
ったことから、一九四六年二月から七月、緊急措置として在日朝鮮人に対しての指令を次々と発した。それ
は日本の司法権の適用、登録名簿の作成、出入国の自由の禁止、不法入国者の強制送還などである。

  占領当初、朝鮮人「残留者」を難民と見ていたGHQは、一九四五年一一月から一年間、帰還事業を進め
たが、その事業が終わろうとした一九四六年一一月に、新方針を発表した。それは、朝鮮における正当な新
政府が樹立されるまでの間は在日朝鮮人を「日本国籍を保持する」者として見なす、ということであった。

※   年表に挙げた以下の記事は、この段階までのGHQの意思の反映に他ならないと思います。
1945年12月、日本が在日韓国・朝鮮人が日本の参政権を停止。
(改正衆議院議員選挙法付則「戸籍法の適用を受けざる者の選挙権及び被選挙権は当分の間これを停止する」)
1946年11月、朝鮮半島に国家ができるまで、在日韓国・朝鮮人は日本国籍を有すると判断。(GHQ)

  基本的に間接統治とはいえ、在日の国籍規定や権利問題を占領下の日本政府が独自に判断して対処した
と考えるのには、あまりにも無理があると私は考えます。
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