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参政権問題前史(>ahirutousagiさん)

投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/10/18 11:16 投稿番号: [1942 / 230347]
  おおまかな前史の私の理解するところを挙げます。(先の年表に依ります)

1910年8月22日   日韓併合に関する条約
1910年8月29日   日韓併合に関する宣言
1922年2月11日   大日本帝国憲法発布

  日韓併合後、条約に言うところの「韓人」も日本臣民とされたが、朝鮮・台湾・樺太
などの海外領土においては、法的整備の未熟もあって大日本帝国憲法の完全施行は実現
されていなかった。特に選挙権、被選挙権については、内地のみに適用する衆議院議員
選挙法しかなかったため、日本本土の臣民にのみしかも条件付で(男子・一定の年齢以上
・一定の納税額以上)与えられているという情況だった。そして外地へ渡った本土の人
間も、参政権は失うことになっていた。
※   後に普通選挙が施行され制限選挙ではなくなる(1928年の衆議院議員選挙以降)

  これに対して朝鮮民衆の側から、参政権付与、帝国憲法の完全適用、内地人と朝鮮人
の共学化、義務教育制度の施行、内地への渡航制限の撤廃、徴兵制の適用などが要求され
るようになる。(特に1930年代以降に顕著)

  1930年の総選挙で、ハングルを用いた投票が内地において認められる。
  1932年の総選挙で、朴春琴が朝鮮人として初めての被選挙権の行使。東京四区から出馬
し、候補者11人中3位という上位当選を果たす。日本史上初の朝鮮人衆議院議員の誕生。
  1932年6月、初めて議会に登壇した四一歳の朴議員の言葉
  「私は朝鮮生まれの日本人として帝国議会の議政壇上にたちましたことは、私一個人の
光栄のみでなくして、朝鮮二千万民の光栄と思ふが故に、是れ以て亦皆様に厚く御礼申上
げる次第であります……何しろ生まれは朝鮮でありますけれど、日本人には違ひない……」

  1945年4月1日公布の改正衆議院議員選挙法において、外地住民の男子にも参政権が認め
られる。(但し朝鮮・台湾について下記の特別規定あり)
「朝鮮及台湾ニ於テハ第五条第一項ノ規定ニ拘ワラズ帝国臣民タル年齢二十五年以上ノ男子
ニシテ選挙人名簿調整ノ期日迄引続キ一年以上直接国税十五円以上ヲ納ムル者ハ選挙権ヲ有ス」
※   この条件では普通選挙以前の制限選挙とみなされる

  一方、太平洋戦争の当事者である連合国側は、戦後処理として朝鮮独立の方針をすでに
固めていた。これはカイロ宣言にも明らかである。

1943年11月27日 カイロ宣言(日本國に關する英、米、華三國宣言)
「前記三大國ハ朝鮮ノ人民ノ奴隸状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且獨立ノモノタラシムルノ
決意ヲ有ス」

  1945年8月   日本はポツダム宣言を受諾し、独立を失って連合軍の統治下に入る

1945年12月、連合国は占領政策の最高決定機関として「極東委員会」をワシントンに設置。同時に東京に
政策を監視するための「連合国対日理事会」を設立。だが日本占領に対する実質的権限をもったのは、東
京に設置された「連合国軍最高司令官・総司令部」(GHQ/SCAP)であった。
  日本本土の占領は間接統治という方式で行なわれ、GHQが発した指令は「ポツダム勅令」として日本
政府により実施された。GHQと政府との連絡・折衝は、外務省の外部団体である「終戦連絡中央事務局」
(終連事務局)によって行なわれ、横浜、横須賀、京都、呉、佐世保など各地にも「終戦連絡地方事務局」
(終連地方事務局)が設置された。終連事務局は、GHQの指令・命令を受け、政府関係省庁に伝達し、
政府の意向をGHQに伝え、終連地方事務局は各地の占領軍との連絡をとった。
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