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簡略に

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2002/10/01 19:18 投稿番号: [1599 / 230347]
今、仕事場で、そろそろ帰宅しますので、簡略に書きます。すみません。

>・朝鮮には日露戦争当時にはまだ、国内で何が起きているか無関心なほど国民という意識が乏しかった。

あくまで私の印象ですが、南の方ではその傾向があったでしょうが、北部の方では比較的、新教育を通して「力」への志向なり、教育への情熱は僅かずつでしょうができつつあった方なのではないでしょうか。ただ、彼らが分かっていたのは、わが民族に力はない、ということだったのではないか、という気がします。典拠はありません。

>・日本人に対する憎悪は保護条約で芽生えたものではなく、以前からあった。

これは、そうだったと思います。憎悪というよりも、軽蔑といったほうがいいかもしれません。

>推測されるのは、朝鮮人は他ならぬ「日本人」だから、支配を屈辱と感じたのではないか、ということです。残念ながら。

屈辱と自らの民族の至らなさ、かといって近代化の必要と野蛮な部分の小さくなかったロシア・清の存在もあり、いろいろ複雑な感情があったことでしょう。いちばん大きかったのは帝国主義の時代において劣者としての自己規定を迫られた、その民族的な自尊心の鬱屈なのではないかという気もしています。自分らには力がない、という自覚、それは激しいゲリラ的な闘争か、ひたすら日本人となるか、あるいは何でもいいから生活だけを考えるか、それしかないということ。あとは延々と準備論からあまり抜け出せないまま、植民地民族主義となっていったのではないでしょうか。

>これらを統合すると、朝鮮人の意識は当時民族意識ではなく、小中華思想に支配されていたのではないかという、疑問が登場するわけです。

小中華思想は、韓末のいくつかの改革の動きを経る中で徐々に薄れつつあったのも一方では確かかと思います。それが一気になしとげられるだけの力が開化派にはなかったわけですが、その動きはあったといわざるを得ないでしょう。一般人の生活感情では、国民意識としての民族意識にはいかぬにせよ、改革への意識はなきにしもあらずだったのではないでしょうか。前代では東学あたりの展開にもその片鱗があるかもしれませんし、1905年頃には北部では基督教の受容や啓蒙運動などです。

民族意識ということに限って言うと、私は一般人の中でもそうした意識の芽生えはあったし、とりわけ北部でしょうが啓蒙運動の影響は近代という形を伴ってだんだんと広がる過程にあったと見ています。

ちなみに、私がイザべラバードの本で好きなくだりは、船に乗っていて、陸にペンギンが一杯いると思ってよく見ると、白衣の人たちだった(大意)、というやつです。
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