>今さらですが
投稿者: aoiparrot01 投稿日時: 2002/10/01 17:33 投稿番号: [1595 / 230347]
uumin3さんが、議論にふさわしく長期に渡る試みとして国民国家、民族意識についてレポートしておられます。
私は生来の怠け気質から、手っ取り早く当時の一般人の実態を知りたいと思っています。
出来れば日本側の資料ではなく、西欧または朝鮮側のオリジナルの資料(引用されたものではなく)からの情報が欲しいと思います。中央日報のコラムは韓国国内向けなので、これに該当するものです。
下の資料は以前のレスにも転写させていただいたものですが、再度コピペします。
朝鮮の一般人の意識がどのようなものだったかについて、朝鮮戦争時の将軍、白ソンヨップさんの自伝にこんな一節があります。
これは、日露戦争当時のことです。
(以下引用)
日清戦争から10年、韓半島はふたたび大陸へのかけ橋となった。豊臣秀吉の「仮道入明」が300年の時空を越えて再現されたことになる。韓国人の意思などまったく無視されたのだが、なにが起きているかを理解していた韓国人もほとんどいなかった。私の故郷江西は、第一軍主力が上陸した鎮南浦と平壌の中間にあり、第一軍の兵站基地がもうけられていた。(中略)他の地域よりも日本軍との接触が多かったと思うが、私は土地の古老から日露戦争の話を聞いた記憶がない。人びとには、ただ外国の軍隊が通り過ぎていったという程度の印象しかなかったのであろう。 (若き将軍の朝鮮戦争)
また、イザベラバードの朝鮮紀行の記述からは、朝鮮人の日本人嫌いは併合における政策の過ちが原因というより、日清戦争以前から日本人が嫌いだった、ということが分かります。
(以下引用)1885年当時
日本人居留地はこれよりはるかに人口も多く、街も広くてもったいぶっている。領事館は公館としては充分に立派である。街には小さな商店のならぶ通りが何本かあるが、扱っている商品はおもに自国の人々の需要を満たすものである。というのも外国人はアー・ウォングとイータイをひいきにしており、三世紀にわたる〔豊臣秀吉の朝鮮出兵以来の〕憎悪をいだいている朝鮮人は日本人が大嫌いで、おもに清国人と取り引きしているからである。(イザベラバード 朝鮮紀行)
さらに、日清戦争当時の記述より 慈山にて
(以下引用)
町の人々からは、清国兵は情け容赦なくものを盗む、ほしいものは金も払わずに奪い、女性に乱暴を働くという悲痛な被害の話をきいた。(中略)
日本の偵察兵ふたりが対岸にあらわれて発砲すると、清国軍派遣隊はばらばらに逃げ出したものである!慈山でもほかと同様、人々は日本人に対してひとり残らず殺してしまいたいというほど激しい反感を示していたが、やはりほかのどこでもそうであるように、日本兵の品行のよさと兵站部に物資をおさめればきちんと支払いがあるということについてしぶしぶながらも認めていた。 (朝鮮紀行より)
上記のわずかな資料から見られるものは、
・朝鮮には日露戦争当時にはまだ、国内で何が起きているか無関心なほど国民という意識が乏しかった。
・日本人に対する憎悪は保護条約で芽生えたものではなく、以前からあった。
バードの記録の中の日清戦争当時の日本軍の潔癖さは清国軍と比較すると、完璧に近い感があります。そこから推測されるのは、朝鮮人は他ならぬ「日本人」だから、支配を屈辱と感じたのではないか、ということです。残念ながら。。
これらを統合すると、朝鮮人の意識は当時民族意識ではなく、小中華思想に支配されていたのではないかという、疑問が登場するわけです。
まだ全然資料が足らず、勝手な推測の域を出ませんが、とはいえ、上のように考えると現在の日韓の確執にもある程度納得がいくものですから。。
ありがとうございました。
私は生来の怠け気質から、手っ取り早く当時の一般人の実態を知りたいと思っています。
出来れば日本側の資料ではなく、西欧または朝鮮側のオリジナルの資料(引用されたものではなく)からの情報が欲しいと思います。中央日報のコラムは韓国国内向けなので、これに該当するものです。
下の資料は以前のレスにも転写させていただいたものですが、再度コピペします。
朝鮮の一般人の意識がどのようなものだったかについて、朝鮮戦争時の将軍、白ソンヨップさんの自伝にこんな一節があります。
これは、日露戦争当時のことです。
(以下引用)
日清戦争から10年、韓半島はふたたび大陸へのかけ橋となった。豊臣秀吉の「仮道入明」が300年の時空を越えて再現されたことになる。韓国人の意思などまったく無視されたのだが、なにが起きているかを理解していた韓国人もほとんどいなかった。私の故郷江西は、第一軍主力が上陸した鎮南浦と平壌の中間にあり、第一軍の兵站基地がもうけられていた。(中略)他の地域よりも日本軍との接触が多かったと思うが、私は土地の古老から日露戦争の話を聞いた記憶がない。人びとには、ただ外国の軍隊が通り過ぎていったという程度の印象しかなかったのであろう。 (若き将軍の朝鮮戦争)
また、イザベラバードの朝鮮紀行の記述からは、朝鮮人の日本人嫌いは併合における政策の過ちが原因というより、日清戦争以前から日本人が嫌いだった、ということが分かります。
(以下引用)1885年当時
日本人居留地はこれよりはるかに人口も多く、街も広くてもったいぶっている。領事館は公館としては充分に立派である。街には小さな商店のならぶ通りが何本かあるが、扱っている商品はおもに自国の人々の需要を満たすものである。というのも外国人はアー・ウォングとイータイをひいきにしており、三世紀にわたる〔豊臣秀吉の朝鮮出兵以来の〕憎悪をいだいている朝鮮人は日本人が大嫌いで、おもに清国人と取り引きしているからである。(イザベラバード 朝鮮紀行)
さらに、日清戦争当時の記述より 慈山にて
(以下引用)
町の人々からは、清国兵は情け容赦なくものを盗む、ほしいものは金も払わずに奪い、女性に乱暴を働くという悲痛な被害の話をきいた。(中略)
日本の偵察兵ふたりが対岸にあらわれて発砲すると、清国軍派遣隊はばらばらに逃げ出したものである!慈山でもほかと同様、人々は日本人に対してひとり残らず殺してしまいたいというほど激しい反感を示していたが、やはりほかのどこでもそうであるように、日本兵の品行のよさと兵站部に物資をおさめればきちんと支払いがあるということについてしぶしぶながらも認めていた。 (朝鮮紀行より)
上記のわずかな資料から見られるものは、
・朝鮮には日露戦争当時にはまだ、国内で何が起きているか無関心なほど国民という意識が乏しかった。
・日本人に対する憎悪は保護条約で芽生えたものではなく、以前からあった。
バードの記録の中の日清戦争当時の日本軍の潔癖さは清国軍と比較すると、完璧に近い感があります。そこから推測されるのは、朝鮮人は他ならぬ「日本人」だから、支配を屈辱と感じたのではないか、ということです。残念ながら。。
これらを統合すると、朝鮮人の意識は当時民族意識ではなく、小中華思想に支配されていたのではないかという、疑問が登場するわけです。
まだ全然資料が足らず、勝手な推測の域を出ませんが、とはいえ、上のように考えると現在の日韓の確執にもある程度納得がいくものですから。。
ありがとうございました。
これは メッセージ 1588 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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