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Re: 百済と韓国は無関係?その1

投稿者: qapla_jup 投稿日時: 2009/10/19 22:44 投稿番号: [156812 / 230347]
>史書に書いてある事を言っている。この朝貢の国は何処にある国だとね。

そう。だから地図も海図も何もない時代、言う事がアバウトならば、「遼東
半島基点説」なんか、成立する余地なしじゃないですか?しかも御自分で
言った様に、史書は後年にまとめたものですよ?

>何回も、遼東百済は三代麻余の時代には滅亡している。と書いているがね

はて、『遼東百済』なんて国、ありました?文献は扶余伝だったんじゃ?
その子依慮(イロ)が六歳で王に立ったのは、どこの国で?

>仇台と公孫度は何回も戦っている

初耳です。ソースお願いします。

>仇台の生きた時代は都尉が太守と同じ意味。地方の王様という事だな

『都尉』なら、ね。単なる『尉』だから、せいぜい軍の中隊長クラス
でしょう。

それとやっぱり、老い先短いジジイに嫁をやるのじゃあ、和睦の材料と
しては弱いなぁ。

>四代依慮は西晋の庇護を受け、火列国(払涅靺鞨とも言う、現:黒龍省)
に扶余を再興している

またえらく遠くに?周り敵だらけだろうに?旧領なら分かりますが?で、
この依慮王ですが、№156612で私が出した人物ですか?

>太康六年(285年)、慕容■(ぼようかい、“かい”は「まだれ」に
  「鬼」)によって扶余は全軍が撃破され、王の依慮は自殺し、子弟は
  逃れて沃沮に保護された。
>翌年、扶余王を継いだ依羅(イリ)は遣使を派遣し、慕容■は皇軍と
  戦うも、大敗して軍勢を撤退したので、依羅は復興が叶った(『晋書』)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%95%E5%AE%B9%E3%82%AB%E3%82%A4

扶余、弱いですねぇ(苦笑)   公孫度、同盟して役に立ったんだろうか?

>『帯方』が朝鮮半島にあったと思ってるのかね?(爆)

思ってますよ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AF%E6%96%B9%E9%83%A1

ちなみに、後年百済第27代   威徳王」(在位554〜598年)は、北斉(隋の
ひとつ前)に使節を送り『使持節・侍中・車騎大将軍・帯方郡公・百済王』
という官位を授かった(570年)そうですが?どうせペーパーの軍権ですが、
これを「遼東半島まで」と考えちゃ、いくらなんでも欲張り過ぎで
しょう(笑)

そして中華の認識も、『帯方郡=朝鮮半島中西部』ですけど?
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