A級戦犯の合祀
投稿者: f3nasa 投稿日時: 2003/01/18 00:46 投稿番号: [26978 / 196466]
昭和27年4月28日、サンフランシスコ対日平和条約が発効、その直後の30日の国会で「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が成立し、戦後はじめて国による遺族援護が行なわれるようになり、翌28年8月1日には同法の1部が改正され戦争裁判による死亡者も適用対象者として認められ、遺族に対しても一般戦没者と同じように遺族年金および弔慰金が支給されることになりました。
また恩給についても、昭和29年6月30日の恩給法改正によって、拘禁中獄死または刑死した者の遺族は一般戦没者の遺族と同じ処遇を受けることとなり、戦争裁判受刑者本人に対する恩給も昭和30年の同法改正によって、拘禁期間を在職期間に通算するとともに、拘禁中の負傷または疾病を在職中の負傷または疾病とみなして同じように支給されるようになりました。
このような一連の法改正により、戦争裁判による死亡者や拘禁中の傷病者は、一般の戦没者、戦傷病者と同様の取り扱いを受けることとなったのです。つまつ、まず国がA級たるとB・C級たるとを問わず戦争裁判による死亡者を一般戦没者と同様の戦争による公務死と認定し、これを「法務死」と称して国内法上の犯罪と区別してきたのは、前章でも触れた通りです。
さらに昭和31年4月19日、厚生省引揚援護局は「靖国神社合祀事務協力について」と題する通知を同局長名で発し、都道府県に対し合祀事務の協力を要請しました。この通知に基づき、
(1) 靖国神社は合祀者を決定するために一定の合祀資格に該当する者およびその者の身上を引揚援護局に照会する。
(2) 引揚援護局は照会を受けた事項について都道府県や地方復員局などが調査をまとめて神社に通知する。
(3) 神社はこれに基づいて合祀者を決定し、春秋2回の合祀祭で合祀する。という方式で合祀事務への協力が進められ、昭和31年から昭和46年まで15年間にわたって続けられたのです。
こうした合祀事務協力のもと、靖国神社は、厚生省の引揚援護局より送付された通知「祭神名票」により新しい祭神の合祀を行なったのですが、時と共にその範囲も拡大し、軍の要請によって戦闘に参加した満州開拓団、義勇軍などから、国家総動員法に基づく徴用者、国民義勇隊員、徴用された船舶の船員なども含まれるようになり、戦争裁判による確定判決を受けて死亡した者(いわゆる“戦犯”)も昭和34年の春季合祀祭において一般戦没者と共に初めて合祀されました。その後、数次にわたり戦犯の合祀が進み、昭和41年には、いわゆる“A級戦犯”の祭神名票が引揚援護局から送付されましたが、これを受けて靖国神杜は崇敬者総代会において、“A級戦犯”合祀を了承しました。しかし、当時国会において「靖国神社法案」(昭和44年から審議されていましたが昭和49年廃案。)が審議されていたなどの種々の事情があって考慮され、昭和53年、再度の崇敬者総代会の了承を得て同年の秋季合祀祭においていわゆる“A級戦犯”は昭和殉難者として合祀されたのです。
http://www.yasukuni.jp/siryou/siryou4.html#i6
また恩給についても、昭和29年6月30日の恩給法改正によって、拘禁中獄死または刑死した者の遺族は一般戦没者の遺族と同じ処遇を受けることとなり、戦争裁判受刑者本人に対する恩給も昭和30年の同法改正によって、拘禁期間を在職期間に通算するとともに、拘禁中の負傷または疾病を在職中の負傷または疾病とみなして同じように支給されるようになりました。
このような一連の法改正により、戦争裁判による死亡者や拘禁中の傷病者は、一般の戦没者、戦傷病者と同様の取り扱いを受けることとなったのです。つまつ、まず国がA級たるとB・C級たるとを問わず戦争裁判による死亡者を一般戦没者と同様の戦争による公務死と認定し、これを「法務死」と称して国内法上の犯罪と区別してきたのは、前章でも触れた通りです。
さらに昭和31年4月19日、厚生省引揚援護局は「靖国神社合祀事務協力について」と題する通知を同局長名で発し、都道府県に対し合祀事務の協力を要請しました。この通知に基づき、
(1) 靖国神社は合祀者を決定するために一定の合祀資格に該当する者およびその者の身上を引揚援護局に照会する。
(2) 引揚援護局は照会を受けた事項について都道府県や地方復員局などが調査をまとめて神社に通知する。
(3) 神社はこれに基づいて合祀者を決定し、春秋2回の合祀祭で合祀する。という方式で合祀事務への協力が進められ、昭和31年から昭和46年まで15年間にわたって続けられたのです。
こうした合祀事務協力のもと、靖国神社は、厚生省の引揚援護局より送付された通知「祭神名票」により新しい祭神の合祀を行なったのですが、時と共にその範囲も拡大し、軍の要請によって戦闘に参加した満州開拓団、義勇軍などから、国家総動員法に基づく徴用者、国民義勇隊員、徴用された船舶の船員なども含まれるようになり、戦争裁判による確定判決を受けて死亡した者(いわゆる“戦犯”)も昭和34年の春季合祀祭において一般戦没者と共に初めて合祀されました。その後、数次にわたり戦犯の合祀が進み、昭和41年には、いわゆる“A級戦犯”の祭神名票が引揚援護局から送付されましたが、これを受けて靖国神杜は崇敬者総代会において、“A級戦犯”合祀を了承しました。しかし、当時国会において「靖国神社法案」(昭和44年から審議されていましたが昭和49年廃案。)が審議されていたなどの種々の事情があって考慮され、昭和53年、再度の崇敬者総代会の了承を得て同年の秋季合祀祭においていわゆる“A級戦犯”は昭和殉難者として合祀されたのです。
http://www.yasukuni.jp/siryou/siryou4.html#i6
これは メッセージ 26977 (f3nasa さん)への返信です.
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