Re: 北斗の拳 −共存共栄できる相手かを
投稿者: mirokuninoti 投稿日時: 2007/10/05 23:02 投稿番号: [146421 / 196466]
>(そもそも清時代には「満州にチャイニーズが入ることすら禁止」されており、「満州はチャイニーズのものではない」のは明らかです。)
「くそは食ったか」(爆)さんのたて看板、このときに立てられたんじゃ、ありませんでしたか。
「犬と支那人、入るべからず」
***
「満州」は一体誰のもの(何処の国の領土)か? この単純な質問に皆さんはどの様に答えられるでしょうか? もし、あなたが、「満州」は「中国」(支那)のものである、と答えられたとしたら、それはあなたの「満州」に対する認識(見方)が浅いと言う事になります。と言うのも、「満州」が支那の正式な領土(実際には「正式」では無いのだが)に編入されたのは、1949(昭和24)年の「中華人民共和国」成立以降、つまり、「中国四千年」と称す支那の悠久な歴史の中では、文字通り「つい最近」の事なのです。そんなまさか、と思われるでしょうが、これは事実です。
「満州」の語源は、清朝を建国したツングース系遊牧民族である女真(ジュルチン)族の「文殊(もんじゅ)菩薩」(文殊師利菩薩:梵語で「マンジュシュリ」)信仰と関係があり、清の太祖・ヌルハチが、1616年、全女真(満州)族を統合・建国した際、国名を「後金国」(Altan Gurun)又の名を「満住国」(満州国 Manju Gurun)とし、自らの民族名を「満州」(Manju)と称した事に由来すると言われています。
つまり、ヌルハチが、従来からの民族名である「女真」(「女直」共書く)を「満州」に改め、自分達の住む土地を「満州」(満住)と称したのが、「満州」と言う語の起源なのです。
ちなみに、「満州」を領有した民族・国家は、
「満州」を領有した民族・国家
扶余
高句麗
粛真
靺鞨
渤海(靺鞨族)
遼 (契丹族)
金 (女真族)
元 (モンゴル族)
清 (女真改め満州族)
***
ジュルチン族でました。
***
「満州国」建国前、既に満州は、張作霖・学良父子(奉天軍閥)が支配していたでは無いか。いや、それ以前に、満州には多くの漢民族が住んでいたでは無いか
と。確かに、「満州国」建国以前、「満州」に既に多くの支那人が住んでいたのは事実です。しかし、だからと言って「満州」が支那人の土地であるかと言うと、決してそうではありません。何故なら、当時、「満州」に住んでいた支那人の多くが「不法侵入者」(及びその子孫)だったからなのです。
清の時代、王朝(政府)によって、「満州」は「父祖発祥の地」(母国)であると言う理由で、
漢民族は入るべからず
***
あ〜〜〜「漢民族はいるべからず」でしたわ。
***
と言う政策(封禁策)が概ね採られていました。
この封禁策が廃止され、満州への非満州族移民が解禁されたのは日清戦争以後の事ですが、解禁以前から御法度を破って満州に侵入し土着する支那人が後を絶ちませんでした。
そして、その流入量は、辛亥革命によって清朝が滅亡し、各地に軍閥が乱立した「中華民国」の時代、爆発的に増加し、戦乱と荒廃を避ける様に大量の支那人流民が「駆け込み寺」としての満州を目指したのです。
***
そして税金も払わず、満州を蹂躙した。
「くそは食ったか」(爆)さんのたて看板、このときに立てられたんじゃ、ありませんでしたか。
「犬と支那人、入るべからず」
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「満州」は一体誰のもの(何処の国の領土)か? この単純な質問に皆さんはどの様に答えられるでしょうか? もし、あなたが、「満州」は「中国」(支那)のものである、と答えられたとしたら、それはあなたの「満州」に対する認識(見方)が浅いと言う事になります。と言うのも、「満州」が支那の正式な領土(実際には「正式」では無いのだが)に編入されたのは、1949(昭和24)年の「中華人民共和国」成立以降、つまり、「中国四千年」と称す支那の悠久な歴史の中では、文字通り「つい最近」の事なのです。そんなまさか、と思われるでしょうが、これは事実です。
「満州」の語源は、清朝を建国したツングース系遊牧民族である女真(ジュルチン)族の「文殊(もんじゅ)菩薩」(文殊師利菩薩:梵語で「マンジュシュリ」)信仰と関係があり、清の太祖・ヌルハチが、1616年、全女真(満州)族を統合・建国した際、国名を「後金国」(Altan Gurun)又の名を「満住国」(満州国 Manju Gurun)とし、自らの民族名を「満州」(Manju)と称した事に由来すると言われています。
つまり、ヌルハチが、従来からの民族名である「女真」(「女直」共書く)を「満州」に改め、自分達の住む土地を「満州」(満住)と称したのが、「満州」と言う語の起源なのです。
ちなみに、「満州」を領有した民族・国家は、
「満州」を領有した民族・国家
扶余
高句麗
粛真
靺鞨
渤海(靺鞨族)
遼 (契丹族)
金 (女真族)
元 (モンゴル族)
清 (女真改め満州族)
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ジュルチン族でました。
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「満州国」建国前、既に満州は、張作霖・学良父子(奉天軍閥)が支配していたでは無いか。いや、それ以前に、満州には多くの漢民族が住んでいたでは無いか
と。確かに、「満州国」建国以前、「満州」に既に多くの支那人が住んでいたのは事実です。しかし、だからと言って「満州」が支那人の土地であるかと言うと、決してそうではありません。何故なら、当時、「満州」に住んでいた支那人の多くが「不法侵入者」(及びその子孫)だったからなのです。
清の時代、王朝(政府)によって、「満州」は「父祖発祥の地」(母国)であると言う理由で、
漢民族は入るべからず
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あ〜〜〜「漢民族はいるべからず」でしたわ。
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と言う政策(封禁策)が概ね採られていました。
この封禁策が廃止され、満州への非満州族移民が解禁されたのは日清戦争以後の事ですが、解禁以前から御法度を破って満州に侵入し土着する支那人が後を絶ちませんでした。
そして、その流入量は、辛亥革命によって清朝が滅亡し、各地に軍閥が乱立した「中華民国」の時代、爆発的に増加し、戦乱と荒廃を避ける様に大量の支那人流民が「駆け込み寺」としての満州を目指したのです。
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そして税金も払わず、満州を蹂躙した。
これは メッセージ 146312 (n_o_i_s_e_m_a_n さん)への返信です.
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