Re: 北斗の拳 −共存共栄できる相手かを
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2007/10/03 20:17 投稿番号: [146312 / 196466]
>故地に回帰するのに、親となるもの、祖先を殺してまでするものか。
むしろ「その親(祖先)を殺し、土地を奪ったのは誰か」ということです。
もともと古代の大陸文化は、「異民族同士であっても共存共栄」で生きる「大同の世」でしたが、
チャイニーズの祖先が東アジアにやってきてから「力で支配し逆らえば殺し追い払う世」に変わってしまったわけです。
(大陸の祖神が故地を捨てないためには、「侵略者以上の殺戮者」にならなければなりませんが、「大同の世の主催者」はそうしませんでした)
日本人には「共存共栄する文化」があります。
しかし、「共存共栄」文化をもたないチャイニーズは「力でいうことをきかせるか追い出すか」しかできませんし、そんな相手に「共存共栄」を示すと「ますます頭に乗ってやりたい放題し始め」ますから、結局、チャイニーズ(というより特亜)に対してだけは「力で示すしか通じない」ということです。
>お前さんは、日本による侵略戦争を正当化するのがみえみえだ。
「満州事変」から「盧溝橋事件」、「上海事変」、「南京戦」、「奥地の重慶まで引き込まれる」までの状況をひとつひとつ見ると、日本軍が「通称路と居留民の安全確保を主任務とする」のを逆手にとって「常に日本軍に攻撃させようと行動し続けてきたチャイナの姿」が浮き彫りになります。
そして「共存共栄」も「相手を見極めて語らなければ、結局反対になってしまう」ということです。
満州についても、幣原喜重郎は平和外交を進め、「日本自ら侵略しない」ことを国際社会に約束することでチャイナや近隣諸国との「共存共栄の道」を探ろうとしました。
ところが、チャイナはそれを聞いて「共存共栄しようとする」どころか「日本軍は攻撃できない」と甘く見て、満州に「数千万人のチャイニーズ棄民」を延々と送り込みました。
(そもそも清時代には「満州にチャイニーズが入ることすら禁止」されており、「満州はチャイニーズのものではない」のは明らかです。)
しかもチャイナは棄民たちに、全く「支度金」を支払いませんでした。
つまり「生き延びたければ日本人居留民や満州人を襲い騙して、土地も資金も女も手に入れろ」ということです。
やがて満州におけるチャイニーズの人口は過半数を占め、日本人には何も売らず、スキをみせれば投石し暴行しレイプし家屋には放火を繰り返しました。
しかし日本軍も、平和外交に縛られ十分に取り締まることはできず、日本人は共存共栄どころか追い払われつつあり、「日露戦争で多大な犠牲を払ってきた日本の生命線である通商路」を全て失うところでした。
そして結果として「満州事変」が起きるべくして起き、かろうじて日本は起死回生を果たしました。
要するに「政治家のお花畑の理想論」の尻拭いを「軍人が悪役」になることで「日本の命脈を保った」ということになります。
(これ以降、「(日本を滅ぼしかけた)政治家に対する「任せておけない」という「軍人の不信感」はますます拡大していきます。その結果は皆が知る通りです。)
そして、マッカーサーは後に日本の行動を公式の公聴会でこう証言しました。
http://search.live.com/previewx.aspx?q=%e3%83%9e%e3%83%83%e3%82%ab%e3%83%bc%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%80%80%e4%b8%8a%e9%99%a2%e8%ad%b0%e5%93%a1%e3%80%80%e8%a8%bc%e8%a8%80&FORM=CBPW&first=1&noredir=1
「彼ら(日本)が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。」
むしろ「その親(祖先)を殺し、土地を奪ったのは誰か」ということです。
もともと古代の大陸文化は、「異民族同士であっても共存共栄」で生きる「大同の世」でしたが、
チャイニーズの祖先が東アジアにやってきてから「力で支配し逆らえば殺し追い払う世」に変わってしまったわけです。
(大陸の祖神が故地を捨てないためには、「侵略者以上の殺戮者」にならなければなりませんが、「大同の世の主催者」はそうしませんでした)
日本人には「共存共栄する文化」があります。
しかし、「共存共栄」文化をもたないチャイニーズは「力でいうことをきかせるか追い出すか」しかできませんし、そんな相手に「共存共栄」を示すと「ますます頭に乗ってやりたい放題し始め」ますから、結局、チャイニーズ(というより特亜)に対してだけは「力で示すしか通じない」ということです。
>お前さんは、日本による侵略戦争を正当化するのがみえみえだ。
「満州事変」から「盧溝橋事件」、「上海事変」、「南京戦」、「奥地の重慶まで引き込まれる」までの状況をひとつひとつ見ると、日本軍が「通称路と居留民の安全確保を主任務とする」のを逆手にとって「常に日本軍に攻撃させようと行動し続けてきたチャイナの姿」が浮き彫りになります。
そして「共存共栄」も「相手を見極めて語らなければ、結局反対になってしまう」ということです。
満州についても、幣原喜重郎は平和外交を進め、「日本自ら侵略しない」ことを国際社会に約束することでチャイナや近隣諸国との「共存共栄の道」を探ろうとしました。
ところが、チャイナはそれを聞いて「共存共栄しようとする」どころか「日本軍は攻撃できない」と甘く見て、満州に「数千万人のチャイニーズ棄民」を延々と送り込みました。
(そもそも清時代には「満州にチャイニーズが入ることすら禁止」されており、「満州はチャイニーズのものではない」のは明らかです。)
しかもチャイナは棄民たちに、全く「支度金」を支払いませんでした。
つまり「生き延びたければ日本人居留民や満州人を襲い騙して、土地も資金も女も手に入れろ」ということです。
やがて満州におけるチャイニーズの人口は過半数を占め、日本人には何も売らず、スキをみせれば投石し暴行しレイプし家屋には放火を繰り返しました。
しかし日本軍も、平和外交に縛られ十分に取り締まることはできず、日本人は共存共栄どころか追い払われつつあり、「日露戦争で多大な犠牲を払ってきた日本の生命線である通商路」を全て失うところでした。
そして結果として「満州事変」が起きるべくして起き、かろうじて日本は起死回生を果たしました。
要するに「政治家のお花畑の理想論」の尻拭いを「軍人が悪役」になることで「日本の命脈を保った」ということになります。
(これ以降、「(日本を滅ぼしかけた)政治家に対する「任せておけない」という「軍人の不信感」はますます拡大していきます。その結果は皆が知る通りです。)
そして、マッカーサーは後に日本の行動を公式の公聴会でこう証言しました。
http://search.live.com/previewx.aspx?q=%e3%83%9e%e3%83%83%e3%82%ab%e3%83%bc%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%80%80%e4%b8%8a%e9%99%a2%e8%ad%b0%e5%93%a1%e3%80%80%e8%a8%bc%e8%a8%80&FORM=CBPW&first=1&noredir=1
「彼ら(日本)が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。」
これは メッセージ 146294 (jptmd2004 さん)への返信です.
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