Re: 「植民地」史観を超える「生活実態」の
投稿者: mimikazuya2244 投稿日時: 2007/11/29 17:31 投稿番号: [56 / 175]
朝鮮半島で行われた「善政」
まず初めに、この本の歴史的背景とも言うべき日本の朝鮮統治政策の一端について触れておきたい。
日本の朝鮮統治と言えば、教科書には「創氏改名」「日本語の強制」といった歴史の暗部ばかりが、事実を歪曲して断罪的に記されている。だが実際は、日本の統治政策には「善政」として当時の朝鮮の人々からも歓迎されたものが多いのだ。松尾氏が取り組んだ農地改良などの土木事業はその一例とも言える。
こうした事業が、当時の朝鮮の人々にとっていかなる意義を有したかは、併合当時の次のような朝鮮半島の実状を見ればよく分かる。
「国土は一部の戸邑を除いては、何ら人口を加えられた形跡なく、殆ど白然の荒廃に任せたままであった。一たび暴風雨襲来すれば、忽ち大小の河川氾濫して大洪水となり、人命の損失、家屋の流失、農地の荒廃は激甚を極めるに至る反面、潅漑設備などは無いのだから、旱魃ともなれば、農地は多く収穫皆無となり、農民の苦難は筆舌につくし難く、流亡算なきに至る惨状を呈するのである。その状況は今日では到底想像もできぬ程であった」(『朝鮮の国土開発事業』財団法人友邦協会刊)
かかる惨況に対し、総督府は道路・河川・港湾・市街等に関する法令を定めて土木制度の基本を確立し、治水、道路改修、港湾修築、上下水道の整備などの事業を実施したのである。その結果、昭和三年末までに一万七千七百六十四キロメートルの道路が作られ、四千四十六箇所に橋が架けられた。また昭和十四、五年頃には主要河川の改修も終了した。
一方、産米増殖計画が立てられ、農地の開発・改良も大規模に進められた。それによって、併合当時は八十五万町歩だった水田面積が昭和三年頃には百六十二万町歩に達している。米の収穫高も飛躍的に増加し、併合当時約千万石だったのが、昭和十五年には二千二百万石を超えた。こうした事業に要した予算の多くが日本政府によって賄われたのである。
これは メッセージ 55 (mimikazuya2244 さん)への返信です.
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