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昔からの人肉食文化2

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2006/04/05 23:29 投稿番号: [4804 / 9280]
降って徳宗(在位780〜805)の頃の節度使張茂昭は食人の噂が高かったので、ある人がその噂の真偽をただしたところ、「アンなもん、生臭くって食えるかい」と答えた。食べもせずにどうして「生臭い」ことが判るかと評判だった。

キ宗<キはにんべんに喜>中和三年(883)の黄巣の乱の折は、賊が人肉用の向上を特設し、数百の臼をならべ、良民を生きながら打ちくだき、ガイ(ひきうす)でひいて骨ごと食用にあてていた。

食用としてではなく、迷信としての食人もあった。『酉陽雑俎』巻九に、七人組の盗賊が、人肉をたべると人が眼をさまさないからとて、職業上の必要からいつも人肉を食べていたことが出ている。
 
唐代における食人の例は、この他にもいくらもあるが、玄宗の開元(713〜742)の頃の医師陳蔵器が『本草拾遺』をあらわし、人肉が病に効くと書いたから、このような戦時・飢饉時ではなく、全くの平時にもこの風が多くひろまった。明の李時珍が名著『本草綱目』において、医師として人道を誤まり、多くの人を毒したものとして、口をきわめて蔵器を責めている。
 
さりながら、蔵器の影響は後のちまでも著しく、孝子節婦が親のため、舅姑のために股を割くことが一種のモードとなった。元以後、明・清と中央政府は一応これを禁止したが、現実には空文で、地方官憲はどしどし表彰し、記念碑を建てたりするから、一向なくならない。今次戦争中、私が北京にいた五年間にも二〜三例あったやに記憶する。但し、表彰されるのは自分の股を割いた場合だけで、他人を殺して医療にあてる分は厳重に取締られていたが。」
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