>「テロ撲滅」が暴力生み出す
投稿者: dame_dame_war 投稿日時: 2002/01/10 15:41 投稿番号: [129777 / 177456]
@いいこと書いてありましたので再度転載します。
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アフガン空爆における「誤爆」によって、いったいどれほどの人間が犠牲になったのだろう。だが、「誤爆」をもってアフガン空爆という事態が批判されるとき、一般市民に
対する攻撃を誤った爆撃、つまり「誤爆」と語ることで、それ以外の爆撃が誤りではないもの、すなわち正しい爆撃として正当化されることになりはしないか。
一般市民を殺傷するのは「誤り」だが、タリバーンを殺すのならかまわないのだろうか。ミサイルで木々をなぎ倒し、カブールやカンダハルの街を破壊するのは罪ではないというのだろうか。
「テロリスト」というレッテルがあれば、こうした疑問を問わずに済ますことができる。「テロ撲滅のためなら限定空爆やむを得ず」というわけである。そして、国際法上、何の合法性も有さない破壊と殺戮が正当化される。タリバーンもまた一人ひとり、名をもった固有の存在であることが忘れ去られ、あたかも害虫であるかのようにその「撲滅」や「根絶」が叫ばれる。タリバーンを殲滅し、この世から抹消することで、タリバーンとはいったいいかなる者たちであったのか、何が彼らを生み出すにいたったのか、その歴史自体をなかったものにするかのごとく。
正当化される「虐殺」
これは今に始まった事態ではない。96年から翌97年にかけて起きたペルーの日本大使公邸占拠事件においても、トゥパク・アマルのゲリラ兵士たちは、法的裁きを受けることなく、突入した軍によって、投降した者たちも含め全員がその場で殺された。これが虐殺でなくして何であろう。だが、彼らを「テロリスト」と呼ぶことで、彼らが銃をとるにいたった背景にある現実それ自体は不問に付され、虐殺は、「私たち」の安全と秩序を守るためのものとして正当化される。この事件は、「私たち」の安全や秩序なるもの、それが、いかなるグロテスクな暴力によって支えられてあるのかを、あからさまなまでに明らかにしている。
正すほかない不正義
「テロ撲滅のためには空爆よりも、テロの温床となっている『南』の国々の貧困の解消やパレスチナ問題の解決が必要だ」という議論がある。しかし、私たちがテロで殺されようが殺されまいが、南北間経済格差やパレスチナ問題は、それが絶対的な不正義であるがゆえに、解決されねばならないのではないか。世界の関心の埒外に棄ておかれ、たとえばアフガニスタンのように数十万もの人間が飢餓で死んでいったり、あるいはパレスチナ人のように半世紀も難民キャンプにとどめおかれ、生まれ故郷に帰る権利を奪われたまま虐殺されつづけたりすること、それは人間の現実として、端的に不正義であり、そして、不正義であるがゆえに正されねばならないのではないか。
いまイスラエルは、PLO(パレスチナ解放機構)をテロリストと一方的に規定することで、「テロ撲滅」という大義名分によってパレスチナ人に対するあらゆる暴力の行使を正当化しようとしている。私たちが自らの享受する安全や秩序を所与の前提とし、「テロ撲滅」を自明の真理とするとき、それは平和よりもむしろ、さらなる暴力を生み出す、それ自体がひとつの暴力であるだろう。
岡 真理 <京都大学助教授(現代アラブ文学)>
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アフガン空爆における「誤爆」によって、いったいどれほどの人間が犠牲になったのだろう。だが、「誤爆」をもってアフガン空爆という事態が批判されるとき、一般市民に
対する攻撃を誤った爆撃、つまり「誤爆」と語ることで、それ以外の爆撃が誤りではないもの、すなわち正しい爆撃として正当化されることになりはしないか。
一般市民を殺傷するのは「誤り」だが、タリバーンを殺すのならかまわないのだろうか。ミサイルで木々をなぎ倒し、カブールやカンダハルの街を破壊するのは罪ではないというのだろうか。
「テロリスト」というレッテルがあれば、こうした疑問を問わずに済ますことができる。「テロ撲滅のためなら限定空爆やむを得ず」というわけである。そして、国際法上、何の合法性も有さない破壊と殺戮が正当化される。タリバーンもまた一人ひとり、名をもった固有の存在であることが忘れ去られ、あたかも害虫であるかのようにその「撲滅」や「根絶」が叫ばれる。タリバーンを殲滅し、この世から抹消することで、タリバーンとはいったいいかなる者たちであったのか、何が彼らを生み出すにいたったのか、その歴史自体をなかったものにするかのごとく。
正当化される「虐殺」
これは今に始まった事態ではない。96年から翌97年にかけて起きたペルーの日本大使公邸占拠事件においても、トゥパク・アマルのゲリラ兵士たちは、法的裁きを受けることなく、突入した軍によって、投降した者たちも含め全員がその場で殺された。これが虐殺でなくして何であろう。だが、彼らを「テロリスト」と呼ぶことで、彼らが銃をとるにいたった背景にある現実それ自体は不問に付され、虐殺は、「私たち」の安全と秩序を守るためのものとして正当化される。この事件は、「私たち」の安全や秩序なるもの、それが、いかなるグロテスクな暴力によって支えられてあるのかを、あからさまなまでに明らかにしている。
正すほかない不正義
「テロ撲滅のためには空爆よりも、テロの温床となっている『南』の国々の貧困の解消やパレスチナ問題の解決が必要だ」という議論がある。しかし、私たちがテロで殺されようが殺されまいが、南北間経済格差やパレスチナ問題は、それが絶対的な不正義であるがゆえに、解決されねばならないのではないか。世界の関心の埒外に棄ておかれ、たとえばアフガニスタンのように数十万もの人間が飢餓で死んでいったり、あるいはパレスチナ人のように半世紀も難民キャンプにとどめおかれ、生まれ故郷に帰る権利を奪われたまま虐殺されつづけたりすること、それは人間の現実として、端的に不正義であり、そして、不正義であるがゆえに正されねばならないのではないか。
いまイスラエルは、PLO(パレスチナ解放機構)をテロリストと一方的に規定することで、「テロ撲滅」という大義名分によってパレスチナ人に対するあらゆる暴力の行使を正当化しようとしている。私たちが自らの享受する安全や秩序を所与の前提とし、「テロ撲滅」を自明の真理とするとき、それは平和よりもむしろ、さらなる暴力を生み出す、それ自体がひとつの暴力であるだろう。
岡 真理 <京都大学助教授(現代アラブ文学)>
これは メッセージ 129699 (chottomato2 さん)への返信です.
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