イスラエル/パレスチナ和平

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

破壊されたパレスチナの村々(6)

投稿者: crumpled_up_promise 投稿日時: 2001/10/31 09:57 投稿番号: [2099 / 20008]
●1953年、2人のユダヤ人が殺された報復に、
イスラエル軍はヨルダンのキビア村を襲撃し、
無抵抗の住民50人を殺害した。
指揮を取ったのは、のちのイスラエルの国防相で
レバノン戦争の責任者アリエル・シャロンである。

●1956年、カセム村の村民は、外出禁止令を申し渡された。
命令発効のたった30分前である。
多くの村民は遠く働きに行っていて、
30分以内に村に戻れないことは明らかだった。
命令を受けたイスラエル兵は、女、子供はどうするのか」と質問した。
上官は「哀れみをかけるな」と言った。こうして、
仕事から次々と帰村した村民47人が、待ち伏せされ、
並ばされて処刑されたのである。
最後に死んだのは、トラックに乗っていた女性14人を含む17人である。

イスラエルでこの事件の報道管制を敷いている間に、
ヨーロッパにこのニュースが伝わり、政府は事件を隠しおおせなくなった。
責任者たちは裁判にかけられた。しかし次々と減刑され、
判決から1年半で、全員が釈放される。
しかもその1人は市役所のアラブ課の責任者として迎えられたのである。
最高責任者は「単なる技術上の過失」を犯したとして、
実に10円にも満たない形式だけの罰金で釈放された。

●1943年にイギリスが施行した「公益のための土地取得法」も適用された。
政府の建物を建てるという理由で、ナザレの広大な土地が没収され、
そこにユダヤ人だけが住める街、アッパー・ナザレが建てられた。

これ以外にも、村民を車に乗せて国境まで連れて行き、
銃で銃殺した例は枚挙にいとまがない。1949年のアナン村、
クファル・ヤシフ村、1950年のマジュダル村の人々、
そして1959年には多数のベドウィンが、
ヨルダンやエジプトに追放されている。

こうして取得された土地は、全てユダヤ国民基金の手に移され、
そこからユダヤ人入植者に渡された。土地が政府のものなら、
その土地は国民であるユダヤ人とパレスチナ人のために用いなければならないが、
ユダヤ国民基金のものなら、ユダヤ人のためだけに
用いることができるからである。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)