破壊されたパレスチナの村々(5)
投稿者: crumpled_up_promise 投稿日時: 2001/10/31 09:52 投稿番号: [2098 / 20008]
●イスラエル政府は、この悪質な「緊急」を更に強化するために、
1949年に新しい条項を盛り込んだ。「安全地域」もその1つであり、
これは、ある地域を安全上必要と宣言したら、
住民は2週間以内に立ち退かなければならない、というものである。
●ガリラヤ地方北部のパレスチナ人キリスト教徒村イクリットは、
1948年10月31日、イスラエル軍に占拠された。
村民は2週間だけ村を離れるように命令され、当座の食糧だけを持って立ち退いた。
しかしいつまでも帰村が許されず、村民はイスラエル最高裁に訴え、
帰村は正当との判決を得る。
が、その後村民が村に戻ろうとした時、この「安全地帯」条項が適用され、
村民がもう一度裁判所に訴えた直後の1951年12月25日のクリスマスの日、
村は爆破されたのである。
土地は近くの2つのユダヤ人入植地に分け与えられた。
●そのほか1948年10月15日に施行された
「未耕作地開拓のための緊急条項」
というものがある。
これは放置されている土地を耕作する意志のある者の手に移すための条項だが、
他の法律と組み合わされて用いられた。
つまり、ある地域を「安全地域」なり「閉鎖地域」と宣言して、」
出入りを禁止すると、そこが“未耕作地”となる。
そのあとこの法律を適用して没収し、耕す意志のある者、
つまり近くのユダヤ人入植村に渡すわけである。
キブツ(イスラエル共産村)では今でも
「人の住まない荒れ地を緑にしたのは我々だ」と言ったり、」「アラブ人は怠け者だ」と言っているが、その背景にはこうした法律があるのである。
しかしイスラエルの一般のユダヤ人は、これらの法律の存在を知らないという。
これは メッセージ 2051 (crumpled_up_promise さん)への返信です.
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