18世紀中庸を境とし前期後期に・・
投稿者: hamakaze_matukaze 投稿日時: 2008/12/26 18:06 投稿番号: [9021 / 9207]
http://www.occidentalism.org/?s=ullengdo
朝鮮王朝時代の韓国人は、鬱陵島に隣接する島(現在の竹嶼)があったことを認識していたはずですが、本島と付属する島の名前を頻繁に混同していました。おそらくこうしたことが理由で、上掲の地図のように二つの島がほぼ同じ大きさで描かれたのだと思われます。過去の一時期に、鬱陵島と武陵島そして于山島の三つが全て、現在の鬱陵島を指すのに使用されていましたが、大体18世紀中庸から、最終的に于山島が鬱陵島の隣接する小さな島(現在の竹嶼で、鬱陵島北東沖2.2km)を指すようになったのです。以下にあげる6つの地図はその証拠として挙げられます。
* 大体18世紀中庸から、于山島が鬱陵島の隣接する小さな島として東方に位置する様になった、つまり18世紀中庸以前 于山島は主島として隣接島の西側にあった、ここが重要なポイントになりますよ、18世紀中庸を境とし前期後期にわける事にします。
これは メッセージ 9020 (hamakaze_matukaze さん)への返信です.
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