竹嶼は武陵島の呼称で呼ばれ 11家族が
投稿者: hamakaze_matukaze 投稿日時: 2008/12/25 20:40 投稿番号: [9019 / 9207]
http://www.occidentalism.org/?s=ullengdo
“(1412年 4月15日)太宗実録12年4月巳巳条
政府の命により、流山国島(Yusanguk-do)の人々をどう取り扱うべきかが議論された。江原道の観察使が流山国人の白加勿ら12名が高城の羅津にやってきて停泊し、言った事を次のように報告した。‘私達は武陵島で生まれ育ったが、後に本島に移住して今はそこに住んでいる。その島には11の家族がおり、全部で60人以上の住民がいる。島の距離は、東西と南北はそれぞれ2息〈60里〉で、周囲は8息(240里)ある。牛馬、水田は無いが、豆を1斗植えれば20石とれる。麦を1石植えれば50石余りの収穫が見込める。竹は椽〈たるき〉のように大きく、沢山の海産物や果物の木がある。’”
知事が“流山国”と呼ばれる島(Yusanguk-do)から12人の人々がやってきた、と発言していることにお気づきでしょうか。さらに面白いのは、人々は“武陵島”と呼ばれる島で生まれ育ったものの、のちに于山国島と考えられる“本島”へ移動したと言っている事です。それはつまり、武陵島は于山国島に隣接する島で、11家族60人もの人間が生活できるだけのライフサポート=生活必需品があったのです。ということは、その隣接する島は、2,3人の人でさえ住めないただの岩山である独島/竹島では有り得ない訳です。
住民による流山国島の描写から、“本島”が鬱陵島のことを指していることが分かります。隣接する、彼等が生まれ育った島(武陵島)はほぼ確実に、鬱陵島の最大の付属島である竹嶼/竹島〈Jukdo)であると言えます。
* 竹嶼は62000坪の広さがあり、平面台地ですから農業畑作に適しています、水源は無いので雨水天水を利用する、太宗の頃 竹嶼は武陵島の呼称で呼ばれ、そこに11家族、全部で60人以上の住民が生活していた、
これは メッセージ 9013 (hamakaze_matukaze さん)への返信です.
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