高麗史の于山島
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2008/04/29 13:37 投稿番号: [8751 / 9207]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm093.html#No.676
それはさておき、于山島の名前は高麗史にはじめて登場しました.
『高麗史』巻58、地理志3、蔚珍縣
欝陵島:県の真東の海中にあり。新羅の時に于山国と称された。ときに武陵、
ときに羽陵ともいう。島は百里四方で新羅の智證王12年(ママ)に降伏した。
(高麗初代)太祖13年(930) にその島民は白吉と土豆を遣わし、貢ぎ物を献
上した。
一説に于山と武陵は本来二島という。お互いの距離は遠くなく、天気が清明であれば望み見ることができる。
・
欝陵島:県の真東の海中にあり
これは蔚珍縣から欝陵島を見ての供述ですね、で、
次に、
一説に于山と武陵は本来二島という。お互いの距離は遠くなく、天気が清明であれば望み見ることができる。
これは二島の説明で、二島はお互い接近しており、晴れていれば二島を見る事が出来る、
つまり
始めが二島の説明であれば、帰結も二島でおわるのですね、
これは メッセージ 8750 (ninnikumanx さん)への返信です.
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