于山はすなわち倭がいうところの松島である
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2008/04/20 22:02 投稿番号: [8729 / 9207]
一方、松島(竹島=独島)のほうはどうでしょうか。松島の名が記された
朝鮮の文献は柳馨遠の「輿地志」(1656)が初出のようです。ただし、この本は
現存しません。それを引用した本に『疆界考』と『東国文献備考』の「輿地考」
があります。『疆界考』も「輿地考」も申景濬が編纂しました。
『疆界考』(1756)は朝鮮歴代国家の領域を中心に記したもので、筆写本が高
麗大学図書館にあるようです。一方『東国文献備考』(1770)ですが、これは王
命により編纂された百科全書風の文献で文物や制度を解説したものでした。資
料価値が高い文献です。
この本も現存しませんが、これを増補、出版した『増補文献備考』(1908)
は日本の国会図書館にもあります。この本は増補した部分が明確にされていま
すが、「輿地志」于山島条は増補した部分には入っていません。したがって、
于山島を引用した部分はオリジナルである『東国文献備考』当時の記述のまま
ではないかと思われます。そこに松島はこう記されました。
「輿地志がいうには、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいう
ところの松島である(注1)」
この認識は「輿地志」(1656)の見方であると同時に、『増補文献備考』が
発刊された1908年当時の認識でもあるといえます。
・つまり
輿地志がいうには、鬱陵、于山(竹嶼)は皆于山国の地、于山(竹嶼)はすなわち倭がいうところの松島である、と李奎遠の言葉を借りれば、こうなるのでしょうか、
これは メッセージ 8728 (ninnikumanx さん)への返信です.
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