Re: 海長竹が一面に叢生している東五里の島
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2007/02/22 22:27 投稿番号: [8350 / 9207]
そうそう、これこそが、1905年以前に獨島を認識したと言える唯一の事例です。
そして、重要なのは、これが于山島かと考えた形跡がないこと。
つまり、于山島は鬱陵島もしくは近傍の島と考えていたということ。
東國輿地勝覧、多くの地図等々、何の矛盾もなく整合しています。
于山島=獨島なんていうのは、ほかに証拠がないからでっちあげて、
いくらさがしてもほかにないからいまさら取り消せないだけ、
というか、妄想が固定化されてるだけ。
だいたい于山島=獨島という説自体戦後の説です。
1905年時点でそう言う説が存在していることは確認されてません。
日本の領有に反対した時点では、勅令の石島=獨島、于山島=獨島
どちらの説も記録されてないのです。
つまり、どちらの説も、完璧にアリバイがないのです。
勅令は日本の鬱陵島進出に対して調査した結果の勅令です。
調査の記録にも獨島は登場しません。
石島=獨島なら、その心配が現実になった時点で勅令を引き合いに出すはずです。
しかし、ない。
事前のアリバイも事後のアリバイもないんです。
これは メッセージ 8348 (ninnikumanx さん)への返信です.
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