広開土王の403年3加羅は高句麗に属した
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/01/09 21:51 投稿番号: [8308 / 9207]
★任那国
「桓檀古記〜高句麗国本紀」任那はもと対馬島の西北の域にあり、北側は海に阻まれていた。
治所を国尾城といった。
東西に各々都城があり、時に入貢し、時に背叛した。
後に、対馬二島は、遂に任那に支配され、対馬全体の呼称となった。
任那は、3つの加羅に分かれ、佐護加羅は新羅に、仁位加羅は高句麗に、奚#知加羅は百済にそれぞれ属した。
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奚#(+]ふるとり)
高句麗の好太王(広開土王、391-412)の永楽13年(403年)これら3加羅は高句麗に属した。
「東国輿地勝覧」、日本の対馬州は、もと鶏林(新羅)に隷属する。いつ倭人に拠せられたかしらない。その南に一岐島があり、博多島を経て赤間関(下関)に至る。赤間は日本の西涯である。<引用おわり
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対馬二島は、遂に任那に支配された
その後
高句麗の好太王(広開土王、391-412)永楽13年(403年)に任那は支配されるが、その任那とは何なのかだ
そして赤間(下関)は日本の西涯であるだが
日本と倭国(九州)は別の国家だったようだ。
これは メッセージ 8300 (ninnikumanx さん)への返信です.
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