邪馬台国 ha祁馬台国
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/01/07 17:06 投稿番号: [8298 / 9207]
「隋書(倭)人伝」・・・「随所(随処)(倭)人伝」?・・・・鈴木治先生はこの「隋書」が「小野妹子」が送ってきた「斐(裴)世清」の報告が基礎であるから正しい、としているが、本当か?・・・現にこの著書(白村江)に記されている「斐世清」の「斐」が「裴」の漢字と違う。「印刷ミス」か「意図的な文字」か?・・・これは同類異字の「斐分・斐文」の示唆とも思える。この記録者が「倭」を「=(イ+妥)」としたのならば、尚更怪しい。「倭」が「矮小の意味」であると考えるのも「?」である。
最近読んだ中国史を借りて「小説」にしている小説家の随筆の文章に「蘇」は「邪鬼のコト」であるとあった。その意味する出所は記していないが、コレ、彼が蘇をデフォルメした想像なのか、どうか、だとするならば「蘇=邪気」、「蘇=邪記」である。そして「邪」が「ヤ(倭)」と考えるのも「?」である。もとは「邪(ヤ)」は「祁(キ・ギ)」の漢字であったのを改めた、との説(邪馬台国論争終結宣言・山形明郷著・発売所株星雲社・1995年5月7日発行)がある。「邪馬台国」に興味のあるヒトは読むべき価値はあると思う。この著書の176〜177ページから抜粋すれば、
「至邪馬臺(壹)國『邪』各本譌『祁』拠冊府元亀九五七改」・・・梁書巻五十四諸夷傳・校勘記
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邪馬臺国に至るの「邪」は各本「祁(キ)に譌(たが)う。冊府元亀957(西暦1013年)」に拠って改める。
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「冊府元亀」とは北宋の真宗の大中祥符六年(西暦1013年)に詔をくだされた「王欽若」が歴代王朝の君臣の事跡を編纂したもの。
ワタクシは「国家」を考える上で「邪馬台国論争」を終結させたくない、とは思うが、「山形明郷」氏の研究では以上の指摘がある。
これは逆にこの【「邪」は各本「祁(キ)に譌(たが)う。】の「記録」ジタイが「付与」された怪しい記録なのカモも知れない。
とにかく、この記録が事実だとするならば、漢和辞典を調べれば
「祁(キ・ギ・おおいに・さかんに・はなはだ)」
の熟語に「祁山(キザン)」があり、「甘粛省西和県の北西にある山」で、ここは「諸葛亮孔明」が「魏」と戦った場所、とある。
これは メッセージ 8296 (ninnikumanx さん)への返信です.
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