リャンコ領土編入2/2 島根県告示四〇号
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2006/12/23 15:53 投稿番号: [8254 / 9207]
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/half-moon2005.html
ここで日本政府が竹島=独島を領土編入した論理ですが、それは「無主地」であるリ
アンクール島に一九〇三年来、中井が「移住」したので、これを国際法上の占領と認めて
日本の領土に編入したというものでした。
しかし、この論理には無理があります。まず、竹島=独島は民間人が居住できるよう
な島ではなかったし、また中井が竹島=独島に本格的に居住した事実もありませんでした。
中井が同島を利用した実態は、四月から八月にかけてアシカ猟のたびに菰葺小屋で「毎回
約十日間仮居」したにすぎないのであり「移住」や「占領」とはほど遠いものでした。
それにも増して重要なのは、日本政府が朝鮮領であるリアンクール島を無主地と判断
したことです。かつて明治政府は、内務省や外務省、海軍、太政官など関係機関が同島を
朝鮮領と考えていましたが、その判断を根本的に覆すものでした。そしてその主な動機は、
これまで見たように日露戦争遂行のため同島に軍事施設を設けることにありました。
なお、領土編入の閣議決定に際し、日本は関係国である朝鮮との協議はおろか、政府
レベルでの公示すら一切しませんでした。これは小笠原諸島の領土編入とくらべると対照
的です。小笠原諸島の場合、日本は関係国であるアメリカなどと何度も十分な協議を重ね
て相手国の同意を得て領土編入を行いました。
それに反し竹島=独島の場合は政府内で秘密裏に処理されました。官報による告示も
なく、わずかに政府の訓令を受けた島根県が県告示で公表したにとどまりました。同県は
ちょうど百年前の二月二十二日、県告示四〇号で同島を竹島と命名し、隠岐島司の所管に
すると公示しました。
このように日本の竹島=独島編入は政府レベルで秘密裏になされたので、日本国民は
その事実をほとんど知らずにいました。それどころか主要なマスコミすら知らずにいまし
た。告示から三か月以上たった五月三十日、日本海海戦を伝えるほとんどの新聞は「竹
島」の名前を用いずに、外国名の「リアンコルド」岩という名で報道しました。
はなはだしくは、官報や海軍省ですら「竹島」でなく「リアンコルド」岩の名を使用
していました。これはかつて水路部を擁し、国境について熟知しているはずの海軍省すら
「竹島」編入の事実を知らなかった可能性があります。もし知っていたなら、日露戦争で
戦局が日本に有利になるまで秘密扱いにしていたのかも知れません。
「竹島編入」について外務省のホームページは「閣議決定及び島根県告示による竹島の
島根県への編入措置は、日本政府が近代国家として竹島を領有する意志を再確認した」と
記しましたが、秘密裏の措置が近代的であるとは我田引水にすぎます。
さらに外務省の「固有領土」という言い分ですが、これは明治政府が強弁した「無主
地」という主張と相容れないことは言うまでもありません。<引用おわり
++ 明治政府閣議決定指令により、島根地方政府は県告示四〇号で同島を1905年2月22日、竹島と命名し、隠岐島司の所管にすると公示しました、いままでのモヤモヤとしていた江戸時代からの旧松島実効支配はここで正式に日本領となったのです、
ここで日本政府が竹島=独島を領土編入した論理ですが、それは「無主地」であるリ
アンクール島に一九〇三年来、中井が「移住」したので、これを国際法上の占領と認めて
日本の領土に編入したというものでした。
しかし、この論理には無理があります。まず、竹島=独島は民間人が居住できるよう
な島ではなかったし、また中井が竹島=独島に本格的に居住した事実もありませんでした。
中井が同島を利用した実態は、四月から八月にかけてアシカ猟のたびに菰葺小屋で「毎回
約十日間仮居」したにすぎないのであり「移住」や「占領」とはほど遠いものでした。
それにも増して重要なのは、日本政府が朝鮮領であるリアンクール島を無主地と判断
したことです。かつて明治政府は、内務省や外務省、海軍、太政官など関係機関が同島を
朝鮮領と考えていましたが、その判断を根本的に覆すものでした。そしてその主な動機は、
これまで見たように日露戦争遂行のため同島に軍事施設を設けることにありました。
なお、領土編入の閣議決定に際し、日本は関係国である朝鮮との協議はおろか、政府
レベルでの公示すら一切しませんでした。これは小笠原諸島の領土編入とくらべると対照
的です。小笠原諸島の場合、日本は関係国であるアメリカなどと何度も十分な協議を重ね
て相手国の同意を得て領土編入を行いました。
それに反し竹島=独島の場合は政府内で秘密裏に処理されました。官報による告示も
なく、わずかに政府の訓令を受けた島根県が県告示で公表したにとどまりました。同県は
ちょうど百年前の二月二十二日、県告示四〇号で同島を竹島と命名し、隠岐島司の所管に
すると公示しました。
このように日本の竹島=独島編入は政府レベルで秘密裏になされたので、日本国民は
その事実をほとんど知らずにいました。それどころか主要なマスコミすら知らずにいまし
た。告示から三か月以上たった五月三十日、日本海海戦を伝えるほとんどの新聞は「竹
島」の名前を用いずに、外国名の「リアンコルド」岩という名で報道しました。
はなはだしくは、官報や海軍省ですら「竹島」でなく「リアンコルド」岩の名を使用
していました。これはかつて水路部を擁し、国境について熟知しているはずの海軍省すら
「竹島」編入の事実を知らなかった可能性があります。もし知っていたなら、日露戦争で
戦局が日本に有利になるまで秘密扱いにしていたのかも知れません。
「竹島編入」について外務省のホームページは「閣議決定及び島根県告示による竹島の
島根県への編入措置は、日本政府が近代国家として竹島を領有する意志を再確認した」と
記しましたが、秘密裏の措置が近代的であるとは我田引水にすぎます。
さらに外務省の「固有領土」という言い分ですが、これは明治政府が強弁した「無主
地」という主張と相容れないことは言うまでもありません。<引用おわり
++ 明治政府閣議決定指令により、島根地方政府は県告示四〇号で同島を1905年2月22日、竹島と命名し、隠岐島司の所管にすると公示しました、いままでのモヤモヤとしていた江戸時代からの旧松島実効支配はここで正式に日本領となったのです、
これは メッセージ 8253 (ninnikumanx さん)への返信です.
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