東五里小島の島名も知らなかった張漢相
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2006/12/11 23:31 投稿番号: [8226 / 9207]
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/half-moon2005.html
朝鮮政府は「竹島一件」の反省から僉使(せんし)張漢相を鬱陵島調査に派遣するな
ど空島政策の見直しに乗りだしました。僉使とは各鎮台に属した従三品の武官職をさしま
す。一行は鬱陵島で綿密な調査をしたようですが、その過程で竹島=独島を望見すること
ができたようでした。張漢相はそれを「鬱陵島事績」に次のように記しました。
東側五里ほどに一つの小さな島があるが、高大ではなく海長竹が一面に叢生している。
雨が晴れ霧の深い日、山には入って中峰に登ると南北の両峰が見上げるばかりに高く向か
い合っているがこれを三峰という。
西側を眺めると大関嶺のくねくねとした姿が見え、東側を眺めると海の中に一つの島
がみえるが、はるかに辰方に位置して、その大きさは蔚島の三分の一未満で(距離は)三百余里に過ぎない。<引用おわり
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1694年の張漢相調査団による鬱陵島調査で東側五里ほどに一つの小さな島があるが、高大ではなく海長竹が一面に叢生していると張漢相団長は述べている、張団長はこの小島の名前を知らないのだ、これは当然東2km先の小島は竹嶼ですね、ましてや、はるか92Kmの「松島」の名前なんて知るよしもないだろう。
これは メッセージ 8216 (ninnikumanx さん)への返信です.
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