竹島は日本領である その2 (H8.5.26)
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2006/11/29 21:07 投稿番号: [8185 / 9207]
http://www.mars.dti.ne.jp/~ugazin/back_no/zizi_04.html
vol.4 竹島は日本領である その2 (H8.5.26)
(Sorry, we have no English service.)
竹島問題を引き続き考える。
(以後、混乱を避けるため、現在の島名は「」、昔の島名は『』で表記)
(まだ読まれてない方はバックナンバーのvol.2を参照して下さい。)
前々回は、『松島』(=「竹島」)と『竹島』(=「鬱陵島」)が歴史に登場してからの流れをおおまかに書いたが、途中で何故名前が入れ替わってしまったかまでは筆が及ばなかったので、今回はその事から始めようと思う。
名前が入れ変ったのは、日本海にヨーロッパ人が現れてからである。彼らは次々と勝手に命名をした為に混乱が生じてしまった。以下に、その命名の過程を示してみると、
1789年、フランス海軍大佐ラ・ペルーズが「鬱陵島」をダジュレー島と命名。
1797年、イギリス人のブロートンが「鬱陵島」をアルゴノート島と命名。
1811年、イギリスのArrow-Smithの日本地域図でアルゴノート島を大きく、
ダジュレー島はその東南方に小さく表示される。
1840年、シーボルトの日本図で、ダジュレー島は日本寄りに、アルゴノート
島は朝鮮寄りに表示される。
と、この時点で矛盾が生じた。実は、ラ・ペルーズとブロートンの測定した経緯度が相違していた為、同じ「鬱陵島」を二つの別個の島としてしまったのだ。
さらに、シーボルトは『松島』と『竹島』の存在を知っていた為に、わざわざ地図の中に、日本よりのダジュレー島に“松島”、朝鮮よりのアルゴノート島に“竹島”と記してしまったのだ。その後、
1849年、あるフランス船が一群の小島を発見し、リヤンクール列岩と命名。
1854年、ロシア軍艦の測定により、アルゴノート島は存在しない事が判明。
1855年、イギリス軍艦はリヤンクール列岩を測定し、ホーネット島と命名。
この様に、一時期ではあるが、ヨーロッパ人の認識では日本海に、アルゴノート、
ダジュレー、リヤンクール(ホーネット)の三島が存在していた。
つまり、
現在名 旧名 ヨーロッパ命名 シーボルト命名
「鬱陵島」 『竹島』 アルゴノート島 “竹島”・・・存在しない
「鬱陵島」 『竹島』 ダジュレー島 “松島”・・・間違って命名
「竹島」 『松島』 リヤンクール島
というように、名前の入れ変えが始まった。
明治13年(1880年)、政府は軍艦天城による調査を行い、海図に“鬱陵島一名松島”と明記したために公式に「鬱陵島」は“松島”となった。また、現在の「竹島」は公式には“リヤンクール列岩”とされた。
しかし、民間では「鬱陵島」は『竹島』、“リヤンクール列岩”は『松島』と呼ばれていた。
明治38年(1905年)、政府は内務省訓令により、“隠岐島の西北八十五里にある島嶼”を「竹島」と命名し、島根県の所管とした。これ以後、松島と竹島の名前は、完全に入れ替わってしまった。
以上の事は、前回の冒頭でも紹介したが、「島根県竹島の新研究」から要約させていただいた。
資料として提供して下さった島根県総務部総務課の方々に感謝するとともに、著者である故・田村清三郎さんに敬意を表して結びたいと思います。
ありがとうございました。 <引用おわり
vol.4 竹島は日本領である その2 (H8.5.26)
(Sorry, we have no English service.)
竹島問題を引き続き考える。
(以後、混乱を避けるため、現在の島名は「」、昔の島名は『』で表記)
(まだ読まれてない方はバックナンバーのvol.2を参照して下さい。)
前々回は、『松島』(=「竹島」)と『竹島』(=「鬱陵島」)が歴史に登場してからの流れをおおまかに書いたが、途中で何故名前が入れ替わってしまったかまでは筆が及ばなかったので、今回はその事から始めようと思う。
名前が入れ変ったのは、日本海にヨーロッパ人が現れてからである。彼らは次々と勝手に命名をした為に混乱が生じてしまった。以下に、その命名の過程を示してみると、
1789年、フランス海軍大佐ラ・ペルーズが「鬱陵島」をダジュレー島と命名。
1797年、イギリス人のブロートンが「鬱陵島」をアルゴノート島と命名。
1811年、イギリスのArrow-Smithの日本地域図でアルゴノート島を大きく、
ダジュレー島はその東南方に小さく表示される。
1840年、シーボルトの日本図で、ダジュレー島は日本寄りに、アルゴノート
島は朝鮮寄りに表示される。
と、この時点で矛盾が生じた。実は、ラ・ペルーズとブロートンの測定した経緯度が相違していた為、同じ「鬱陵島」を二つの別個の島としてしまったのだ。
さらに、シーボルトは『松島』と『竹島』の存在を知っていた為に、わざわざ地図の中に、日本よりのダジュレー島に“松島”、朝鮮よりのアルゴノート島に“竹島”と記してしまったのだ。その後、
1849年、あるフランス船が一群の小島を発見し、リヤンクール列岩と命名。
1854年、ロシア軍艦の測定により、アルゴノート島は存在しない事が判明。
1855年、イギリス軍艦はリヤンクール列岩を測定し、ホーネット島と命名。
この様に、一時期ではあるが、ヨーロッパ人の認識では日本海に、アルゴノート、
ダジュレー、リヤンクール(ホーネット)の三島が存在していた。
つまり、
現在名 旧名 ヨーロッパ命名 シーボルト命名
「鬱陵島」 『竹島』 アルゴノート島 “竹島”・・・存在しない
「鬱陵島」 『竹島』 ダジュレー島 “松島”・・・間違って命名
「竹島」 『松島』 リヤンクール島
というように、名前の入れ変えが始まった。
明治13年(1880年)、政府は軍艦天城による調査を行い、海図に“鬱陵島一名松島”と明記したために公式に「鬱陵島」は“松島”となった。また、現在の「竹島」は公式には“リヤンクール列岩”とされた。
しかし、民間では「鬱陵島」は『竹島』、“リヤンクール列岩”は『松島』と呼ばれていた。
明治38年(1905年)、政府は内務省訓令により、“隠岐島の西北八十五里にある島嶼”を「竹島」と命名し、島根県の所管とした。これ以後、松島と竹島の名前は、完全に入れ替わってしまった。
以上の事は、前回の冒頭でも紹介したが、「島根県竹島の新研究」から要約させていただいた。
資料として提供して下さった島根県総務部総務課の方々に感謝するとともに、著者である故・田村清三郎さんに敬意を表して結びたいと思います。
ありがとうございました。 <引用おわり
これは メッセージ 8184 (ninnikumanx さん)への返信です.
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