「宋書」 倭の五王について 任那は・・・
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2006/09/07 23:14 投稿番号: [8004 / 9207]
韓国では任那自身を認めないとしているが、次の中国南北朝時代の「宋書」から倭の五王についての官位・爵位の記録を見てもらいたい。
421年
讃
叙爵
438年
珍
安東将軍・倭国王
443年 済
安東将軍・倭国王
451年
済
安東将軍・使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6国諸軍事
462年
興
安東将軍
478年
武
安東大将軍・倭国王・使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6国諸軍事
どうだろうか、451年の倭王:済及び478年の倭王:武について「任那」の文字があることが分かるだろう。
少なくともこの当時、任那という地域が存在し、その「軍事」(当時の中国の官職)に「倭王」が任命されていたことが理解出来るだろう。
また、韓国では任那があったとされる地域を「加羅又は加耶」と呼び、それぞれ独立した小国の総称であるとして、任那日本府の存在を認めていないのだが、上記「宋書」の記述より、任那と加羅は別の地域であることが分かる。
続けて、先の広開土王碑には次のような記述も見られる。
曰く「大軍をもって新羅城を奪還すると、撤退する倭兵の背後から任那加羅まで急追していった」
上記から、当時の倭国は朝鮮半島に大規模な軍事力を駐屯させており、任那日本府というのはその駐屯地などを兼ねた日本の朝鮮半島における拠点だったことが推察される。
その後、百済・新羅などによって任那は軍事的圧力を受け続け、紀元562年に任那は新羅に滅ぼされている。(日本書紀、欽明天皇二十三年)
*半島南部には、たしかに任那という地域があった
その任那は倭国の領域だったのだ、
これは メッセージ 8002 (ninnikumanx さん)への返信です.
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