★「竹島」は日本固有の領土です

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Re: 日本は竹島を放棄すべき

投稿者: kimagure1818 投稿日時: 2006/07/01 23:43 投稿番号: [7647 / 9207]
竹島の歴史   その2(山陰新報記事抜粋)
1889年:
一八八九年に日本と朝鮮の間で締結された『日本朝鮮通漁規則』で、日本漁船は漁業税を支払えば、朝鮮半島近海でも漁業活動が可能になった。それ以降、日本漁船が大挙して出漁しており、朝鮮半島の漁業は日本側の独壇場の状態が続いていた」

1945年9月:
四五年九月に発表された、その対日政策では『日本の主権は本州、北海道、九州、四国に限る』とされた。この段階で、竹島は日本の主権の及ぶ範囲に含まれていなかった」
1946年1月29日:
  「さらに、四六年一月二十九日付のGHQ(連合国軍総司令部)の『訓令第六七七号』で、鬱陵島や済州島とともに竹島は朝鮮領と明記され、日本領土から除外された」
1946年6月22日:
GHQの『訓令第一〇三三号』だ。日本の船舶および乗組員に対し、北緯三七度一五分、東経一三一度五三分にある竹島の十二カイリ以内への接近を禁じた。日本漁船の操業区域を指定するため、日本列島と朝鮮半島の間に引かれた『マッカーサーライン』でも、竹島は朝鮮側に含められた」
1947年3月22日:
サンフランシスコ講和条約案:第一次草案でも、日本の主権は本州、北海道、九州、四国と今後決定する周囲の諸諸島に限るとされ、済州島、竹島、鬱陵島は日本から除外する地域となっていた。その内容は第五次草案まで同じだった」
1947年7月11日:
「米国極東委員会が対日政策を発表した際、日本側が竹島を自国領と主張
1947年8月16日:
韓国山岳会主催で竹島に第1次学術調査団を派遣した。歴史学者や考古学者らが同行している」

1948年8月15日:
朝鮮半島の南側に韓国誕生
1949年11月14日:
日本側の要請を受けたシーボルト駐日政治顧問が米国・国務省に対し『竹島はもともと日本領土だった』と提言した。これらを受けて書き換えが行われ、第五次草案まで『済州島、竹島、鬱陵島』となっていた日本から除外される地域が、第六次草案では『済州島、巨文島、鬱陵島』となった。朝鮮領から竹島の名が消され、朝鮮半島の南端にある巨文島が加えられた」
1951年4月16日:
韓国、外務部内に対日講和会議準備委員会を発足させ、日本から除外される地域として、済州島、巨文島、鬱陵島を挙げた第6次草案を修正し、竹島を加えるよう求める方針を決定した。その後、米国政府に対し、竹島だけでなく、波浪島、対馬島も韓国領とし、講和条約への追加を要請した。
1951年7月26日:
韓国政府はアメリカに再度修正を求めたが、拒否されている。
1951年8月16日:
サンフランシスコ講和条約の最終案発表、竹島は韓国領から除外されたままだった。その条約の発効で、竹島は日本領に復帰した。
1951年9月8日:
サンフランシスコ条約調印
  1952年1月18日:
韓国の李承晩大統領が突如、日本列島と朝鮮半島の間に、一方的に『平和線』と称するラインを引いたと宣言し、竹島を韓国領としてしまった。それが『李承晩ライン』だ
→不法占拠の始まり
1952年1月28日:
「李承晩ラインが宣言された十日後、韓国政府に対し、その不当性を抗議すると同時に、撤廃を要求した。

韓国のあせり
1952年2月15日:
日韓国交正常化のための第一次会談を二月十五日に控え、サンフランシスコ講和条約が発効する四月二十八日を前にして強行された」
  「国交正常化交渉の第五次の韓国側代表を務めた兪鎮午は後に、講和条約が批准、発効されると、日本の態度が強化されるので、進駐軍の統治下にある間に決着させることが、われわれに有利だと踏んだと述懐している」
1952年4月28日:
サンフランシスコ条約発効、その結果、竹島は日本領土となった。現在、竹島について、日本側が国際法的にも自国領と主張する根拠の一つは、この条約にある。

kimさんとやら、あなたの主張する根拠を
真実の歴史根拠をベースに示せますか?
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