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Re: 日本は竹島を放棄すべき

投稿者: kimagure1818 投稿日時: 2006/07/01 23:39 投稿番号: [7646 / 9207]
竹島の歴史その1(山陰新報記事抜粋)

1693年11月2日
対馬藩士多田與左衛門が釜山入りし、ウルルン島の帰属をめぐり日朝交渉開始
1694年2月9日
朴於屯の家族が日本人に拉致され、鳥取藩へ連行されたと訴える
1694年2月2日
多田が交渉方針を協議するために対馬藩に戻る。政権南人派→小論派に移る。
1694年5月13日
多田が再度朝鮮にもどる。
1694年9月27日
対馬藩主・宗義倫が江戸の藩邸で病死
1695年6月12日
日朝交渉決裂につき多田対馬藩に戻る
1696年1月28日
対馬藩の申し出により、江戸幕府が鳥取藩に対しウルルン島に渡航禁止を伝える
このときの幕府見解
「幕府が方針転換する経緯を『通航一覧』は、鬱陵島までの距離は鳥取藩からより、朝鮮側からがはるかに近い。軍事力で解決を図ることはできるが、朝鮮との友好関係を損なう。事を荒立てず、対立しないにこしたことはない、と記している」
1696年5月20日
隠岐島に突如出現した。安龍福の目的?
1696年6月4日
安龍福、鳥取藩の赤○灘に出現、鳥取城下に移送される。
1696年8月
鳥取藩、安龍福を追放、後に朝鮮政府より取り調べがなされる。
1696年10月16日
江戸幕府のウルルン島への渡航禁止が朝鮮政府に伝えられる。
このときの状況
「帰国後の取り調べに対して安龍福は『松島は即ち于山島、此れ亦我が国の地』(松島は于山島で、朝鮮領だ)という衝撃的な供述が発端だ。1728年編さんの粛宗実録に残っている。さらに、鳥取藩に訴えた結果、鬱陵島と于山島が朝鮮領になったと証言した。後世、それらが文献に無批判に引用され、検証しないまま拡大解釈を重ねたことで、英雄・安龍福像ができあがった。同時に、松島(現在の竹島)は韓国領という歴史認識が構築され、史実化した」


→kimサンとやら史実に基づく根拠を示さないと
誰からも相手にされません!
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