白加勿の嘘で、後々の混乱、「于山島」
投稿者: okinawatorafu2005 投稿日時: 2006/06/22 10:39 投稿番号: [7524 / 9207]
引用:
http://kuyou.exblog.jp/1818339/
散歩道
そこで、韓国の史書の記述を見てみよう。鬱陵島以外の島の記述が掲載された一番最初の記録は、太宗実録12年(1412年)である。
命議政府議處流山國島人江原道觀察使報云流山國島人白加勿等十二名來泊高城於羅津言曰予等生長武陵其島内人戸十一男女共六十餘今移居本島是島自東至西自南至北皆二息周回八息無牛馬水田唯種豆一斗出二十石或三十石麥一石出五十餘石竹如大椽海錯果木皆在焉竊慮此人等逃還姑分置于通州高城扞城
白加勿は、「11戸86人が、武陵島から流山国島に転居した。流山国島は、縦・横が2.5km、周囲が10km程度で豆や麦が採れる」と観察使に証言している。最初の地図を見ればわかるが、鬱陵島以外に人が住める島は存在しない。李氏朝鮮では、1403年に鬱陵島の空島政策を実施しており、犯罪の発覚を恐れての嘘であろう。
架空であることから、確かな情報が存在せず、確認もできず、「流山国島」は「于山島」に転訛し、後々の認識に混乱を生じさせる。この混乱は史書からも明確にわかる。ー引用おわりー
*鬱陵島以外の島の記述が掲載された一番最初の記録は、太宗実録12年(1412年)である。なるほどなあ
白加勿の名は
わしゃあ
はじめてじゃが、それでか
1412年過ぎから大きな于山島の地図が出てくるのは、
これは メッセージ 7523 (okinawatorafu2005 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1za1vcddega1wa4offckdc8gmada4nnneza4ga49_1/7524.html