続き 竹島問題、何が問題か 下條正男教授
投稿者: y_scale2002 投稿日時: 2006/05/25 22:04 投稿番号: [7238 / 9207]
歴史書を改竄した韓国
では日本側には、竹島の領有権を主張する根拠が無いのであろうか。結論から言えば、韓国側にこそ、竹島の領有権を主張する根拠がないのである。それは一九九六年二月、韓国側が竹島に接岸施設の建設をはじめた時に、実証されていた。
当時、韓国のソウルにいた私は、『現代コリア』と韓国の『韓国論壇』で竹島問題を論じ、韓国側が竹島を占拠する根拠としてきた文献には、何ら立証能力がない事実を明らかにした。
それは韓国側が竹島を歴史的に韓国領であったとし、長くその根拠としてきた『東国文献備考』の分註が、後世、改竄されていた事実を論証できたからだ。
これまで韓国側の竹島研究では、『東国文献備考』の分註に、柳馨遠の『輿地志』から「欝陵于山皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂松島なり」と引用されているのに依拠し、松島(当時の竹島の呼称)は韓国領の于山島で、その于山島は欝陵島の属島であるとしてきた。
そのため竹島が韓国領になるのは、于山国が新羅に編入された五一二年となり、一六一八年に日本領となったとする日本側よりも、千年以上も遡ることになった。韓国側が、歴史的にも竹島は韓国領と力説する理由はここにある。
たが『東国文献備考』が編纂される際、その底本となった申景濬の『彊界誌』には、柳馨遠の『輿地志』から「一説于山欝陵本一島」と引用されていたのである。これは『東国文献備考』の編纂過程で、引用文が改竄されていたということである。
それに柳馨遠の『輿地志』にも「于山欝陵本一島」とあるように、朝鮮時代の于山島は欝陵島を指していた。『太宗実録』の記事を基に書かれた『世宗実録地理志』や『東国輿地勝覧』の于山島には「一五戸、男女八六」人が住み、畑があった。岩礁に過ぎない竹島が于山島でなかったことは明らかである。韓国側は文献を恣意的に解釈し、文献批判を怠っていたのである。
韓国側が文献を恣意的に解釈していた事実は、『東国輿地勝覧』に「見える」とある記述を、欝陵島から「竹島が見える」と読み、「欝陵島からは竹島が見えるので、竹島は韓国領である」と解釈したことでも言える。
それは今から三百年ほど前のこと、欝陵島の帰属を巡って対馬藩と争った際、朝鮮政府は同じ「見える」を朝鮮半島から「欝陵島が見える」と読み、それを根拠に欝陵島の領有権を主張していたからだ。韓国側は自家撞着を犯し、文献が読めていなかったのである。
海底地名問題の根底は竹島問題だ
そこで二〇〇三年一一月、隠岐島で行なわれた「竹島・北方領土返還要求運動島根県会議」主催の特別講演では、韓国側の文献解釈の誤りを指摘し、二〇〇五年三月の「竹島の日」条例制定記念の講演でも、韓国側の主張には根拠が無いことを明らかにした。
その後、島根県は「竹島問題研究会」を発足させ、今年二月には中間報告を公表し、研究成果を県内に配布した。その中間報告書は、これまで日韓で行われてきた竹島研究の論点を整理したもので、外務省による竹島研究の限界や、韓国側の主張には疑問点が多い事実を指摘し、その上で、韓国側の主張を論破した「竹島問題研究会」の見解を示している。
だが日本政府も国会も、島根県の研究成果には無関心であった。そのため旧説を繰り返す外務省の竹島関連のホームページは、韓国側から要らぬ誤解を招く事になった。韓国側は対応が早いからだ。今回、海底地名を韓国式にしようと急いだのも、「竹島の日」に反応したからである。
それを外務省の谷内事務次官と自民党の中川政調会長は、「海底地名を日韓共同で命名しよう」と提案するという。海底地名の根底には竹島問題がある。谷内事務次官と中川政調会長の発言は、竹島問題解決の糸口を自ら壊すもので、不見識も甚だしい。
同様のことは、「竹島問題は領土問題で歴史問題でない」とした麻生外相についても言える。韓国側が竹島の島根県編入を侵略と決め付けるのは、歴史が理解できていないからで、その誤った歴史認識こそ外交攻勢の標的とすることが出来るからだ。
竹島が島根県に編入された時も、竹島は韓国領ではなかった。竹島は東経一三一度五五分に位置し、大韓帝国政府は自国の極東をほぼ東経一三〇度五四分としていたからだ。いずれの国にも属さない竹島を「無主の地」とし、それを日本領としても侵略とは言えない。戦後、日本の領土を侵略したのは、韓国側なのである。
では日本側には、竹島の領有権を主張する根拠が無いのであろうか。結論から言えば、韓国側にこそ、竹島の領有権を主張する根拠がないのである。それは一九九六年二月、韓国側が竹島に接岸施設の建設をはじめた時に、実証されていた。
当時、韓国のソウルにいた私は、『現代コリア』と韓国の『韓国論壇』で竹島問題を論じ、韓国側が竹島を占拠する根拠としてきた文献には、何ら立証能力がない事実を明らかにした。
それは韓国側が竹島を歴史的に韓国領であったとし、長くその根拠としてきた『東国文献備考』の分註が、後世、改竄されていた事実を論証できたからだ。
これまで韓国側の竹島研究では、『東国文献備考』の分註に、柳馨遠の『輿地志』から「欝陵于山皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂松島なり」と引用されているのに依拠し、松島(当時の竹島の呼称)は韓国領の于山島で、その于山島は欝陵島の属島であるとしてきた。
そのため竹島が韓国領になるのは、于山国が新羅に編入された五一二年となり、一六一八年に日本領となったとする日本側よりも、千年以上も遡ることになった。韓国側が、歴史的にも竹島は韓国領と力説する理由はここにある。
たが『東国文献備考』が編纂される際、その底本となった申景濬の『彊界誌』には、柳馨遠の『輿地志』から「一説于山欝陵本一島」と引用されていたのである。これは『東国文献備考』の編纂過程で、引用文が改竄されていたということである。
それに柳馨遠の『輿地志』にも「于山欝陵本一島」とあるように、朝鮮時代の于山島は欝陵島を指していた。『太宗実録』の記事を基に書かれた『世宗実録地理志』や『東国輿地勝覧』の于山島には「一五戸、男女八六」人が住み、畑があった。岩礁に過ぎない竹島が于山島でなかったことは明らかである。韓国側は文献を恣意的に解釈し、文献批判を怠っていたのである。
韓国側が文献を恣意的に解釈していた事実は、『東国輿地勝覧』に「見える」とある記述を、欝陵島から「竹島が見える」と読み、「欝陵島からは竹島が見えるので、竹島は韓国領である」と解釈したことでも言える。
それは今から三百年ほど前のこと、欝陵島の帰属を巡って対馬藩と争った際、朝鮮政府は同じ「見える」を朝鮮半島から「欝陵島が見える」と読み、それを根拠に欝陵島の領有権を主張していたからだ。韓国側は自家撞着を犯し、文献が読めていなかったのである。
海底地名問題の根底は竹島問題だ
そこで二〇〇三年一一月、隠岐島で行なわれた「竹島・北方領土返還要求運動島根県会議」主催の特別講演では、韓国側の文献解釈の誤りを指摘し、二〇〇五年三月の「竹島の日」条例制定記念の講演でも、韓国側の主張には根拠が無いことを明らかにした。
その後、島根県は「竹島問題研究会」を発足させ、今年二月には中間報告を公表し、研究成果を県内に配布した。その中間報告書は、これまで日韓で行われてきた竹島研究の論点を整理したもので、外務省による竹島研究の限界や、韓国側の主張には疑問点が多い事実を指摘し、その上で、韓国側の主張を論破した「竹島問題研究会」の見解を示している。
だが日本政府も国会も、島根県の研究成果には無関心であった。そのため旧説を繰り返す外務省の竹島関連のホームページは、韓国側から要らぬ誤解を招く事になった。韓国側は対応が早いからだ。今回、海底地名を韓国式にしようと急いだのも、「竹島の日」に反応したからである。
それを外務省の谷内事務次官と自民党の中川政調会長は、「海底地名を日韓共同で命名しよう」と提案するという。海底地名の根底には竹島問題がある。谷内事務次官と中川政調会長の発言は、竹島問題解決の糸口を自ら壊すもので、不見識も甚だしい。
同様のことは、「竹島問題は領土問題で歴史問題でない」とした麻生外相についても言える。韓国側が竹島の島根県編入を侵略と決め付けるのは、歴史が理解できていないからで、その誤った歴史認識こそ外交攻勢の標的とすることが出来るからだ。
竹島が島根県に編入された時も、竹島は韓国領ではなかった。竹島は東経一三一度五五分に位置し、大韓帝国政府は自国の極東をほぼ東経一三〇度五四分としていたからだ。いずれの国にも属さない竹島を「無主の地」とし、それを日本領としても侵略とは言えない。戦後、日本の領土を侵略したのは、韓国側なのである。
これは メッセージ 7237 (y_scale2002 さん)への返信です.
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