2. AERA 2005年4月4日増大号
投稿者: boat_boys_77 投稿日時: 2006/05/01 15:55 投稿番号: [6915 / 9207]
今日の韓国は日本に外交権を奪われており、抗議できなかった」として「日本の侵略」とする声が高いが、中井らが漁舎を当てた1903年は日露戦争の前年でロシアの勢いが強く、韓国皇帝は親露的で日本は影響力を失っていたから、島を韓国が支配していれば当然抗議したはずだ。
韓国が外交権を全く失ったのは日露戦争後の1905年11月の第2次日韓協約で、1904年8月の第1次日韓協約では、韓国は日本人の財務顧問と外国人外交顧問(日本外務省に雇われていたアメリカ人)を受け入れ、外国との条約締結など重要外交案件は日本政府と協議することが決まっていた。だが、もし韓国領の島を日本が領土に組み込めば異議を唱えることはできたはずだが、記録はない。
帰属関係を決める最終的文書であるサンフランシスコ平和条約を見ても、日本に分があるように思われる。
1951年の同条約は「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島[チェジュ]島、巨文島[コムンド]、鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原および請求権を放棄する」と定めている。韓国は独島も入れるよう米国に求めたが、拒否された。
終戦直後の46年1月29日の連合国軍総司令部の訓令で竹島は日本の行政権から外されたが、これは後に日本に返還された奄美諸島、小笠原諸島、沖縄と同様で潜在主権は日本にあり、52年4月の対日平和条約発効後、米国は日本に対して米国の射爆撃場として竹島の提供を求め、翌年3月まで使用した。
韓国は52年1月、周辺の公海上に「李承晩ライン」を設定して竹島をその中に入れ、65年6月の日韓基本条約の調印までに日本漁船328隻が拿捕され、抑留された漁民3929人、死傷者44人が出た。韓国は54年8月、竹島に灯台を設置し、警備隊を置いたため、日本は9月に竹島問題を国際司法裁判所(ICJ)に付託しようとしたが、これには双方の同意が必要で、韓国は提訴を拒絶した。
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竹島問題は時折噴火する火山のような危険をはらむ。双方が友好関係を保ちつつ、問題を解決する公明正大な方法はICJに決めてもらうことだろう。訴訟に敗れた側も「裁定」に従って「潔い国」との名誉を得ることができる。
提訴に応じない側は法的に弱みがあることを内外に示す結果となる。
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これは メッセージ 6914 (boat_boys_77 さん)への返信です.
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