鬱陵島は一時,別名松島でした 1882年4月
投稿者: okinawatorafu2005 投稿日時: 2006/01/24 15:45 投稿番号: [5815 / 9207]
http://www.han.org/a/half-moon/hm098.html#No.722
1881年5月、
7名の倭人が鬱陵島に侵入し盗伐行為を行ったが、定期的に鬱陵島を巡視した
朝鮮政府の捜討官により発覚するという事件が発生した。
これに対し、朝鮮政府はすぐさま日本政府に抗議文を送る一方、現地調査
のため副護軍 李奎遠を鬱陵島検察使とする102名の現地調査団を1882年4月、
鬱陵島に出発させた。李奎遠の調査報告書によれば、当時、鬱陵島には140名
の朝鮮人以外に非合法で78名の日本人がきていたが、かれらは「日本国の松
島」という標木まで立てていたという(『Il seong 録』高宗19年5月22日
;『日本外交文書』第14巻、『鬱陵島検察日記』)。これは両政府間の協約
に対する破廉恥な背反であり、乱暴な挑発であった。
事態の深刻さをさとった朝鮮政府は、1882年6月、日本政府にふたたび抗
議する一方、鬱陵島開拓のため積極的な対策を立てた。その主要内容をみると、
本土の人民たちを島に移住させ農耕地を開拓し、鬱陵島行政官として島長を任
命、派遣するというものであった(『承政院改修日記』、光緒8年(1882)8月
20日)。
Trafu:
鬱陵島は別名「日本国の松島」だった,つまり松島と云えば鬱陵島を指した一時期があった,チクトは竹島であった
だから明治時代外務省調査員3名が竹島松島は朝鮮領としたのだろう,これなら理解出来る,
これは メッセージ 5808 (okinawatorafu2005 さん)への返信です.
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