引用:
http://www.han.org/a/half-moon/hm066.html#No.433私も安龍福の供述はかなり疑問が多いと思います。当時は海上の測量技術
が未発達だったので、無人島である于山島の位置を正確に記録することは困難
であり、あるいは下條氏がいうように、安は竹島(独島)と隠岐島を混同して
いた可能性すら考えられるのかもしれません。
明治時代ですら、フランス軍艦が鬱陵島を誤認してダジュレー島を「発
見」したくらいですし、その影響で日本では2島説ならぬ3島説が一時信じら
れたり、松島と竹島が混同され、混乱のはてに松島の名前が竹島にすり替わっ
たくらいでした。
ましてや1690年代、民間人の安龍福が竹島を他の島と混同していた可
能性は十分考えられます。しかし、領土問題を考える際に注目すべきは、日本
がいうところの松島(竹島=独島)は、朝鮮でいうところの于山島に該当する
という認識がすくなくとも朝鮮で定着し、堀氏によれば、朝鮮政府はその島の
領有意識を維持し続けたことです。同氏はこう記しました(注3)。
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川上の著作の大きな欠陥は、自己の于山島非存在説によって、16世紀以
降多くの文献、地図中に登場する于山島をすべて否定してしまうことである
(注4)。
例えば、『粛宗実録』(1728年)巻30には、17世紀末鬱陵島をめ
ぐる紛争のため日本に二度渡った安龍福が、「松島即子山島、此亦我国地」
「以鬱陵子山等島、定以朝鮮地界」等、発言した事実が載せられている。
川上は、安龍福が今日の竹島=独島の存在を知っていたことを認めながら
も、彼の証言は虚構が多いとして、その資料的価値を否定している。
しかし、安龍福の証言内容の信憑性はひとまずおくとしても、彼が竹島=
独島を子山島と呼び、鬱陵島とともに朝鮮領だと発言している事実は、川上の
子山島非存在説を覆すのに充分である。
また、『増補文献備考』(1908年)輿地考でも、「輿地志云鬱陵于山皆于
山国地、于山則倭所謂松島也」「松島即芋山島、爾不聞芋山亦我境乎」等のよ
うに、于山島を正しく今日の竹島の呼称として使っている。
そして、この『増補文献備考』が二百年にわたる編纂事業の所産で、実録
を補完する官製文献であることから、朝鮮政府が于山島に対して領有意識を維
持していたことが明らかである。
おきの;松島はトクトと言う前に松島は于山島の事である,をだれもが納得いくように御説明願いたいものです,