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松島伺い(その2)

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/04/09 23:23 投稿番号: [4550 / 9207]
竹嶋と呼ばれた現在の鬱陵島への渡航を、現在の竹島である松嶋行きと偽っていたが、当時の李氏朝鮮国は鬱陵島に空島政策を保っていたので、江戸幕府も1696年(元禄9年)以来、渡航禁止にしていたが、八右衛門はそこで竹木を伐採し、海産物を持ちかえっていたが、やがて日本刀を持ち渡り、中国人や朝鮮人と交易をはじめるようになった。異国船との交易は抜荷と呼ばれ長崎会所経由以外の貿易で幕府独占体制の裏をくぐるため暴利が得られたと言われている。そのうち八衛門や浜田藩は、竹島からしだいに朝鮮本土、清国、さらには琉球、台湾、安南、ルソン島にまで交易範囲を広げていった。ほぼ6年余りを経て、密貿易が露見。

浜田藩家老3,000石の大身岡田頼母と年寄役松井図書は自刃、会津屋八衛門と勘上方の橋本三兵衛は死罪、ともに藩の財政を立て直すための目的があり八右衛門自身既に処罰は覚悟の上で、捕らえられる以前に、妻は離縁し実家に帰らせ、子供は大阪に養子に出していた。公式に残された八右衛門の供述書には「交易」の文字はなく、竹島渡海も「一度のみ」と記されている。浜田藩家臣の切腹八右衛門死罪で表面上は幕を下ろした。藩主、松平康任は勝手掛老中であり丹波出石藩の御家騒動・仙石事件にも関係していることもあって評定所の裁きとなったが岡田・松井の両人は国元で自刃したため裁きは曖昧となり、八右衛門にも抜荷の罪ではなく勝手に異国の島へ渡航したことなどの罪で死罪とされた。浜田藩主松平周防守康任は仙石事件の罪で老中を解任され隠居の上永蟄居、嫡子松平康爵が跡目を継ぎ、奥州棚倉に国替で1836(天保7)年に竹島一件は落着を見ている。

  この後、八右衛門の処刑後、幕府はあらためて全国に異国渡海を厳しく禁じた鎖国体制を再確認する内容の 高札を立てたが、いまに現物が残されている。
 
  隠州視聴合記   国代記   (松江藩士・斉藤豊仙著   1667年)が1667年頃にはわが国では竹嶋(現鬱陵島・松島)と松嶋(現・竹島(独島))がわが国に実行支配されその方位図も知られていたことが明らかにされている。
 
  この竹島事件が江戸幕府も1696年(元禄9年)以来、渡航禁止が竹嶋(現鬱陵島・松島)に対してのみであり、竹嶋(現鬱陵島・松島)を朝鮮の持と定めたことによるもので、松嶋(現・竹島(独島))はこの定めには無関係でわが国の持と考えられていたことが分かる意味で重要である。そのため鬱陵に赴く口実に松嶋(現・竹島(独島))が用いられていたことは鬱陵は朝鮮の持ちでも、竹島がわが国の固有の領土であると幕府が認めていた事実の分かる点で重要視される。これは八右衛門の処刑後の高札にも明示されており、隠州視聴合記と共に重要史料である。
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