★「竹島」は日本固有の領土です

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

鬱陵島の歴史

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/04/03 13:30 投稿番号: [3937 / 9207]
鬱陵島の歴史

竹島問題を理解するには、先ず鬱陵島の歴史を知らなければならない。鬱陵島は朝鮮半島から115kmの海上にあり、島の大きさは70Km2である。鬱陵島は西暦512年以来、韓国の支配下にある。しかし、李氏朝鮮(1392-1910)は、鬱陵島への渡航を禁じた。これには大きく分けて二つの理由があり、国内的には税金を逃れて島に渡るものが後を絶たなかったことと、対外的には倭寇による襲来から島民を守る為であった。この無人島政策は1438年から1881年まで続けられた。

鬱陵島
17世紀初頭、伯耆国(ほうきこく=現・鳥取県)米子の海運業者だった大谷甚吉(おおやじんきち)が、航海中に暴風に遭い、無人島になった鬱陵島に漂着した。彼は、新島の発見と考え、帰国後、同志の村川市兵衛とはかり、1616年に江戸幕府(1603-1868)から鬱陵島への渡航許可を受ける。鬱陵島はその発見から「竹島」と呼ばれるようになった。大谷、村川両家はその後毎年交替で鬱陵島に渡り、アシカ猟やアワビの採取、木材の伐採などを行い、両家の鬱陵島経営は78年間続けられた。当時鬱陵島へ渡るコースは、隠岐島から松島(現在の呼び方で竹島)を中継地にしていた。大谷、村川両家は、この竹島(旧・松島)の経営をも手がけていた。竹島が航路中の寄港地、漁猟地として利用されアシカ猟を行っていた記録も残っている。江戸幕府は松島に対する渡航許可も1656年に出している。(注意:竹島はむかし松島と呼ばれ、鬱陵島は竹島と呼ばれていた。韓国もこの歴史的経緯・事実に対しては異論は出ていない)
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)