閣議決定に天皇の主権が及んでいない?
投稿者: genuin_dtpx 投稿日時: 2005/03/03 04:12 投稿番号: [360 / 9207]
大日本帝国憲法において行政権は、国務大臣の輔弼によって天皇が自ら行うという原則に立っており、内閣は、本来、国務大臣が天皇を輔弼するについて協議するために設けられた組織体であった。と同時に、国務大臣が諸施策を決定し、行政上の方針を統一するために協議する場でもあった。
第1条
内閣ハ国務各大臣ヲ以テ組織ス
第2条
内閣総理大臣ハ各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承ケテ行政各部ノ統一ヲ保持ス
第3条
内閣総理大臣ハ須要ト認ムルトキハ行政各部ノ処分又ハ命令ヲ中止セシメ勅裁ヲ待ツコトヲ得
第4条
凡ソ法律及一般ノ行政ニ係ル勅令ハ内閣総理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ勅令ノ各省専任ノ行政事務ニ属スル者ハ主任ノ各省大臣之ニ副署スヘシ
>内務大臣より島根県知事に訓令し
1904年9月25日
そのアシカの乱獲を防止するために、アシカ漁業を取り締まる必要が出てきて、漁民の一人、中井養三郎が、「りやんこ島領土編入並に貸下願」を内務、外務、農商務三大臣に提出し、同島を本邦領土に編入すると共に、10年間同人に貸し下げるよう願い出た。
1904年(1904年)11月15日
政府は、明治37年(1904年)9月29日付の中井養三郎の出願を受け、島根県の意見を尋ねた。
島根県は、島根県は内務部長名で隠岐島司に、リアンクール島(竹島)を隠岐島の所管として差し支えないか、同島をいかに命名すべきかを照会した。
1904年(明治37年)11月30日
隠岐島司は同島を隠岐島の所管とすることに異議がないことを回答し、竹島と命名することが適当だという意見を上申した
1905年(明治38年)1月28日
閣議決定政府は、これらの意見を基として審議して、明治38年(1905年)1月28日、閣議決定して同島を島根県所属隠岐島司の所管として、竹島と命名し、その旨を内務大臣より島根県知事に訓令した
1905年(明治38年)2月15日
島根県知事に訓示日露戦争の最中に、明治政府は、島根県所属隠岐島司の所管とする事を決定し、「他国ニ於イテ之ヲ占領シタリト認ムヘキ形跡」の無い無人島を竹島と命名した閣議決定を、島根県知事に訓示した。
北緯37度9分30秒東経131度55分、隠岐島ヲ距ル西北85浬ニ在ル島嶼ヲ竹島ト称シ、自令其所属隠岐島司ノ所管トス
これは メッセージ 359 (genuin_dtpx さん)への返信です.
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