三国遺事 in 13世紀
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/03/23 16:36 投稿番号: [2453 / 9207]
三国遺事
巻一
智哲老王
何琵羅州今溟州東海中、便風二日程、有于陵島今作羽陵、 周廻二万六千七百三十歩、島夷恃其水深、橋傲不臣、 王命伊喰朴伊宗、将兵討之、宗作木偶師子、載於大艦之上、 威之云、不降則放此獣、島夷畏而降賞宗為州伯
翻訳
何琵羅州、今の溟州の東の海の中に、帆船で二日の行程のところに、于陵島があった。今の羽陵島である。周囲は二万六千七百三十歩の大きさ。島に住む野蛮人は水の深さを恃(たの)み、倣岸で新羅に従わなかった。王は朴伊宗に命じて、彼が率いる軍が征伐に向かった。木造の獅子を作り、大きな船に乗せていった。彼らを脅して言った。降伏しないとこの獣を放つぞと。島の野蛮人たちは畏れて、降伏した。王が賞として朴伊宗を州伯の座につけた。
説明
三国遺事は13世紀に書かれた文献であり、三国史記に次いで成立したものである。この三国遺事には、漢字表記は異なるが、発音が全く一緒の、于陵島と、羽陵島が表れている。前者の島名は于山島の于と、鬱陵島の陵が合わさった表記である。また、高麗史に出てくる芋陵島や、蔚陵島も 漢字表記は違うが発音は同じである。その他、武陵島と茂陵島も 漢字表記は異なるが発音は全く同じである。これらは全て鬱陵島を指す。 韓国は、于山島を現在の獨島であると主張しているが、では、太祖実録に出てくる于山国島や、太宗実録に出てくる流山国島はどう説明するのか。 于山国島や流山国島という島名には、国という漢字が使われている。竹島は人が住めないので国ではない。三国史記には”于山国は別名で鬱陵島と呼ばれている”とある。つまり、于山国に島が付いただけの于山国島は、鬱陵島を指すのである。従って于山国島の国という字が無くなった于山島も鬱陵島を指すのである。
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