日朝関係?
投稿者: drawer_chest 投稿日時: 2005/02/28 23:00 投稿番号: [145 / 9207]
世界公認ですが、何か?
■ 下関条約
第一条
清国は朝鮮国が完全無欠の独立自主の国であることを確認する。よってその独立自主を侵害するような朝鮮国から清国への貢納や臣下の儀礼などは,将来全く廃止すること。
http://www2.ocn.ne.jp/~hiroseki/shiryou/shimonoseki.html
-------------------------------- -
● 前文 ---- 日本国天皇とロシア皇帝は、平和を強く希求し、この条約の締結に至ったこと。 小村 寿太郎などと Sergius ウィッテなどが全権であること。
● 第1条 -- ロシア は、日本が韓国における最高の( paramount ) 政治的・軍事的・経済的利益を有することを認める。
● 第2条 -- ロシアは遼東半島 ( Liaotung Peninsula )を除いて、満州を中国 ( China ) に返す。
● 第5条 -- ロシアは、日本が中国の同意を得て、旅順 ( Port Arthur ), 大連 ( Tailen ) を租借 (The lease)することを認める。
● 第6条 -- ロシアは、中国政府の同意を得て、長春 ( Chang - chunfun ) 以南の鉄道、付属利権を日本に譲渡する。
------------------------------
第二回日英同盟
第二回日英同盟がロンドンで調印された八月十二日、ポーツマスでは日露講和交渉の第二回正式会議が開かれ、 ウィッテは日本側講和条件への回答書を提示していた。日本の講和条件の第一には、日本が韓国を「指導、保護、及び監理」するのを承認する旨の規定がかかげられ、 ウィッテは、「本条は異議を容るるの余地なし」と答えている。
新しい日英同盟は、この日本の韓国植民地化をみとめ、日英同盟が韓国とインドというそれぞれの植民地を守るために、協力を強めることを約束した点で、旧同盟と決定的に異なっていた。以後、相互の植民地支配をみとめ合うことが、日本の外交にとっても、列強との強調の基本になってゆくのであった。そしてこのときすでに、アメリカとの同様の協定――桂・タフト協定が成立していた。
古屋哲夫 「日露戦争」 P.191
-------------------------------- -
1905年 7月に陸軍長官タフトを「フィリピン視察」の名目で日本に派遣し、桂首相との間にひそかに「桂=タフト協定」を結ばせた。一口にいってその目的は、アメリカが韓国における日本の権益を保障するのと引換えに、日本はフィリピンに関して絶対の保障を与えるというものであった。こうしてアメリカのアジアにおける植民地は、日本にとって人質の役割を果すことになる。そのうちにアメリカは「桂=タフト協定」でも安心できなくなり、三年後の一九〇八年、ルート国務長官と高平全権大使との名で「高平=ルート協定」を結び、再び日本にフィリピンとハワイの権益保存を保障させようとする。このとき日本が反対給付としてかち得たのは、日露戦争で手に入れた満州の権益を保全するという約束であった。
袖井林二郎 「マッカーサーの二千日」 P.14
=△◎▽=
■ 下関条約
第一条
清国は朝鮮国が完全無欠の独立自主の国であることを確認する。よってその独立自主を侵害するような朝鮮国から清国への貢納や臣下の儀礼などは,将来全く廃止すること。
http://www2.ocn.ne.jp/~hiroseki/shiryou/shimonoseki.html
-------------------------------- -
● 前文 ---- 日本国天皇とロシア皇帝は、平和を強く希求し、この条約の締結に至ったこと。 小村 寿太郎などと Sergius ウィッテなどが全権であること。
● 第1条 -- ロシア は、日本が韓国における最高の( paramount ) 政治的・軍事的・経済的利益を有することを認める。
● 第2条 -- ロシアは遼東半島 ( Liaotung Peninsula )を除いて、満州を中国 ( China ) に返す。
● 第5条 -- ロシアは、日本が中国の同意を得て、旅順 ( Port Arthur ), 大連 ( Tailen ) を租借 (The lease)することを認める。
● 第6条 -- ロシアは、中国政府の同意を得て、長春 ( Chang - chunfun ) 以南の鉄道、付属利権を日本に譲渡する。
------------------------------
第二回日英同盟
第二回日英同盟がロンドンで調印された八月十二日、ポーツマスでは日露講和交渉の第二回正式会議が開かれ、 ウィッテは日本側講和条件への回答書を提示していた。日本の講和条件の第一には、日本が韓国を「指導、保護、及び監理」するのを承認する旨の規定がかかげられ、 ウィッテは、「本条は異議を容るるの余地なし」と答えている。
新しい日英同盟は、この日本の韓国植民地化をみとめ、日英同盟が韓国とインドというそれぞれの植民地を守るために、協力を強めることを約束した点で、旧同盟と決定的に異なっていた。以後、相互の植民地支配をみとめ合うことが、日本の外交にとっても、列強との強調の基本になってゆくのであった。そしてこのときすでに、アメリカとの同様の協定――桂・タフト協定が成立していた。
古屋哲夫 「日露戦争」 P.191
-------------------------------- -
1905年 7月に陸軍長官タフトを「フィリピン視察」の名目で日本に派遣し、桂首相との間にひそかに「桂=タフト協定」を結ばせた。一口にいってその目的は、アメリカが韓国における日本の権益を保障するのと引換えに、日本はフィリピンに関して絶対の保障を与えるというものであった。こうしてアメリカのアジアにおける植民地は、日本にとって人質の役割を果すことになる。そのうちにアメリカは「桂=タフト協定」でも安心できなくなり、三年後の一九〇八年、ルート国務長官と高平全権大使との名で「高平=ルート協定」を結び、再び日本にフィリピンとハワイの権益保存を保障させようとする。このとき日本が反対給付としてかち得たのは、日露戦争で手に入れた満州の権益を保全するという約束であった。
袖井林二郎 「マッカーサーの二千日」 P.14
=△◎▽=
これは メッセージ 142 (pu_pu_pu_onpu さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1za1vcddega1wa4offckdc8gmada4nnneza4ga49_1/145.html