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Re: 日本の司法制度はでたらめ!

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2012/12/02 11:38 投稿番号: [17727 / 17759]
いつも私は自分の文章を後に読み返してそれがいかに稚拙であるかを思い知らされるのですが今回も、少し表現が間違えていたようで、誤解をさせてしまったようです。申し訳ありません。

>死刑廃止論者の人は、司法制度やそれに伴う冤罪の可能性と人権や感情の問題などと、おそらくは日本固有の精神文化や、死生観というようなものを混同して、自分の主張に都合よく使い分けて、それを持って強引に説得しようとしている・・・

上記の文章を下記のように書き換えさせていただくともう少し私の真意が伝わるのかもしれませんね。

「死刑廃止論者の人は、司法制度やそれに伴う冤罪の可能性と人権や感情の問題などを、おそらくは長年積み重ねられてきた日本固有の精神文化や死生観というようなものに対して、自分たちの価値観にそった主張に都合よく使い分けて、もしくは意図的に混乱状態に陥れて、それを持って強引に説得しようとしている・・・」


>日本人の80%が死刑に賛成しているのだから、日本固有の精神文化を受け継いでいるのは明らかに80%の死刑賛成論者です。

という訳で、このあなたの主張は当然の事と考えて同意します。



>一神教の神を各自が心に持つことで精神的な平等性を保つことができる西洋のような自律した精神性を持つことができず・・・

しかしこの欧米人に対するあなたの分析は、もちろんその地域性によって異なるので、必ずしもそうであるとは一概には言い切れない側面を除いて考えた場合でさえ。物事の善悪の判断基準を「神」に預けているという時点において、彼らの「自律性」そのものも、結果的には「依存している」と言わざるを得ません。
ですから「不満のはけ口を常に求めている」のは日本人の民族性に限りません。


>誰かが殺されることで自分が殺されない正しい人間の側にいるのだという安心感と自己承認欲求が満たされることであり、

正しい日本人の死生観は、法という絶対的なものに自分達の価値観を預けた上での相対化されたもの(実際的にこれは実は欧米的であるのですが)では無く、自己の中に絶対的な基準を踏まえた上での、『「彼」と「我」は平等であるから、「彼」を死なせてしまった「我」は「彼」と同じように「死」ぬのが等価(平等)である』とする価値観を重んじている人が多いのだと考えています。

特にこういう考え方は禅宗の影響のある「武士」に当てはまる事だと思いますので、日本人全体を言い当てているとは思いませんが、明治以降多くの日本人が武士の価値観に倣った経緯もある事を加味すると、そんなに日本人の死生観を矮小化する必要もないと思いますけどね。


>自分たちが死刑になるほどの犯罪の被害者家族でもないにもかかわらず、

私の場合、個人的には、それが死刑に値するかどうかは分かりませんが、身内にある程度の犯罪被害者がいた上での結論なんですけどね。詳細はかけませんが。


>生きてればいつか冤罪も晴れることもあるでしょうから。

公衆の面前で犯罪が行われ、多くの人にそれが認知され、なおかつ現行犯での逮捕の場合、それのどこに「冤罪」が入り込む余地があるのでしょうか?
ここに冤罪を持ち出されても説得力はありませんね?

あくまで被害者側が望んだ場合の「死刑」はそういう人にだけでも適用すればいいと考えています。
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