④最低、収監費用を上回れば可では?
投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/06/05 00:39 投稿番号: [17532 / 17759]
(17531よりつづく)
●>人でも物でも、長く使おうと思うなら、それなりに大事にケアしてやらなければならないのは、周知の事実です。steffiさんの提案する「終身強制重労働刑」の基本理念は、一方で、彼らに大きな労働成果を期待しながら、一方では、彼らに劣悪な環境下で厳しい苦役を課すものであり、これらは本来両立しえません。この論理的矛盾をどう解決するおつもりなのかと、私はお伺いしているわけです。
私はそもそも両立させる必要があるとはひとことも申しあげておりません。
piazzollajpさんがおっしゃるように「労働生産性が高いことは、この制度におけるマストな要求事項」(17479)という前提に立てば、確かに受刑者は「大事にケアしてやらなければならない」存在ということになるでしょう。
けれども、私は労働生産性の高さがマストであるとは考えておらず、逆にそれはある程度限定的なものにならざるを得ないという主旨のことを、これまでにも何度か申しあげているはずです(17473、17474。ただし、【現行の懲役刑と比較すれば】生産性は高くなるであろうとの意味のコメントは17474、17484等でしています)。
その発想自体がおかしいということであれば、ご批判はそれに対してなされるべきであって、「(受刑者に)大きな労働成果を期待」という、私が申しあげてもいないことを前提に論理矛盾を云々されても困ってしまいます。
もちろん、国が代位給付した損害賠償金を、「原因者負担の原則」に立って受刑者から1円でも多く回収することは、納税者のコンセンサスを容易にし、制度の健全性を維持するという点できわめて大きな意味があります。
それを否定しているわけではありません。
だからこそ、生命の維持に必要な最低限の食事・睡眠・休息(そしてもちろん医療も)は与えるとしているわけです。
しかしながら、死刑の代替として科す以上、それは究極の懲罰刑という位置づけになるべきです。
一定の条件を保障した上で「普通の人にはとても耐えられないような、きわめて過酷で危険な環境の下で長時間強制的に働かせる」のは刑の趣旨からして当然であり、受刑者にはどんなにつらくともそれに耐え続けるしか生き永らえる道はありません。
耐えられなければ、苦しみながら死ぬだけです。
「終身」とは、文字どおりその人間の命が尽き果てるまでということですから、受刑者が死ねば、服役年数にかかわらずその時点でこの刑は成就し、同時に国が被害者等に代位給付した損害賠償金の“精算”も終了することになります。
賠償金がいくら回収できたかは、“収支決算”の上では大きな関心事項ですけれども、それをもって本制度の優劣を評価すべきと申しあげたことはありません。
piazzollajpさんもご指摘になったとおり、私もこの制度は収入が収監費用を上回りさえすれば、あるいは純収入の累積が現行の遺族給付金相当額を上回ればそれで可とする立場です。
(余談ながら、いま私がお勤めしている会社の勤務環境も、世間一般から見れば、間違いなく「普通の人にはとても耐えられない、きわめて過酷な」ものだと思います。でもそれによって離職したり、心身の健康を損なう人は大勢いても、自殺者を含めた死者は、少なくとも私の入社後の過去12年間はひとりも出ていません。人間生きる意志と気力がありさえすれば、外的環境のみではそうそう死ぬものではないのかも知れません。もちろんケースバイケースだとは思いますけれども。)
(つづく)
●>人でも物でも、長く使おうと思うなら、それなりに大事にケアしてやらなければならないのは、周知の事実です。steffiさんの提案する「終身強制重労働刑」の基本理念は、一方で、彼らに大きな労働成果を期待しながら、一方では、彼らに劣悪な環境下で厳しい苦役を課すものであり、これらは本来両立しえません。この論理的矛盾をどう解決するおつもりなのかと、私はお伺いしているわけです。
私はそもそも両立させる必要があるとはひとことも申しあげておりません。
piazzollajpさんがおっしゃるように「労働生産性が高いことは、この制度におけるマストな要求事項」(17479)という前提に立てば、確かに受刑者は「大事にケアしてやらなければならない」存在ということになるでしょう。
けれども、私は労働生産性の高さがマストであるとは考えておらず、逆にそれはある程度限定的なものにならざるを得ないという主旨のことを、これまでにも何度か申しあげているはずです(17473、17474。ただし、【現行の懲役刑と比較すれば】生産性は高くなるであろうとの意味のコメントは17474、17484等でしています)。
その発想自体がおかしいということであれば、ご批判はそれに対してなされるべきであって、「(受刑者に)大きな労働成果を期待」という、私が申しあげてもいないことを前提に論理矛盾を云々されても困ってしまいます。
もちろん、国が代位給付した損害賠償金を、「原因者負担の原則」に立って受刑者から1円でも多く回収することは、納税者のコンセンサスを容易にし、制度の健全性を維持するという点できわめて大きな意味があります。
それを否定しているわけではありません。
だからこそ、生命の維持に必要な最低限の食事・睡眠・休息(そしてもちろん医療も)は与えるとしているわけです。
しかしながら、死刑の代替として科す以上、それは究極の懲罰刑という位置づけになるべきです。
一定の条件を保障した上で「普通の人にはとても耐えられないような、きわめて過酷で危険な環境の下で長時間強制的に働かせる」のは刑の趣旨からして当然であり、受刑者にはどんなにつらくともそれに耐え続けるしか生き永らえる道はありません。
耐えられなければ、苦しみながら死ぬだけです。
「終身」とは、文字どおりその人間の命が尽き果てるまでということですから、受刑者が死ねば、服役年数にかかわらずその時点でこの刑は成就し、同時に国が被害者等に代位給付した損害賠償金の“精算”も終了することになります。
賠償金がいくら回収できたかは、“収支決算”の上では大きな関心事項ですけれども、それをもって本制度の優劣を評価すべきと申しあげたことはありません。
piazzollajpさんもご指摘になったとおり、私もこの制度は収入が収監費用を上回りさえすれば、あるいは純収入の累積が現行の遺族給付金相当額を上回ればそれで可とする立場です。
(余談ながら、いま私がお勤めしている会社の勤務環境も、世間一般から見れば、間違いなく「普通の人にはとても耐えられない、きわめて過酷な」ものだと思います。でもそれによって離職したり、心身の健康を損なう人は大勢いても、自殺者を含めた死者は、少なくとも私の入社後の過去12年間はひとりも出ていません。人間生きる意志と気力がありさえすれば、外的環境のみではそうそう死ぬものではないのかも知れません。もちろんケースバイケースだとは思いますけれども。)
(つづく)
これは メッセージ 17514 (pia**ollaj* さん)への返信です.
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