Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(2)
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/01/13 05:18 投稿番号: [15929 / 17759]
>死刑は【加害者の人権(生きる権利)を奪ってしまいます】
>人権はやはり、犯罪者でも擁護されるべきもの。
私はおろかなので何度も聞いているのかもしれませんが、もう一度聞きたいと思います。
「人権」のいうところの「生きる権利」とはどういうものでしょうか?
誰が決めたものでしょうか?
※ たとえば刑罰として拘留されることは、「人間らしく生きる権利」を著しく侵害しないでしょうか?
このことと刑罰として人間が人間の手で人を殺すという実際的な意味での「生きる権利の剥奪」との関係は何でしょうか?
同じものでしょうか?違うものでしょうか?
確か私が聞いた日本の仏教での一般的(?)な解釈(本当の解釈ではないとも思いますが)では、【人間は人を殺すと「畜生道」に落ちる】というようなものですが、こういうことを(欧米のキリスト圏とは違った)日本の文化だと考えれば、人を殺したものは、もはや人間ではないですから、「人権」の適用には無理があるとも思いますが、こういうことについてはどう思いますか?
>復讐させるなら「裁判など無用」でしょ?
ですから、裁判による刑罰の決定は、
<<刑罰(けいばつ)とは国家が何らかの犯罪をした者に科する制裁である。>>
というものである限り、被害者による制裁を奪った上での、第三者的客観性を介入させたという意味での「裁判」ですよねえ?
つまり前々から何度も書いている様に、被害者が復讐権を奪われた上での国家による代理の制裁(復讐)行為という側面も当然あるわけですよねえ?
・ ・・・それはドラさんも認めましたよねえ?
この制裁を認めるのならば、裁判による死刑という制裁行為も当然認められるはずですよねえ?
>納得など簡単に出来るわけはない。
>しかし、やはり【殺してはいけない】のが、人間のきまりだと。
俗に、キリスト教社会には唯一絶対の神がいて、その神の決めた倫理基準があり、少なくともその神を信じる人たちにとっては普遍的な「人間の決まり」があると考えてもいいと思いますが、実際的にはそういうことが全世界共通して存在すると考えるのは少し早計そうに感じますがどうでしょうか?
欧米の倫理基準とか、国家形成のヒエラルキーとかは、皆唯一の「神」の存在によって成り立っていると考えられるわけですよねえ?
先に書いた「畜生道」のこともありますし、世の中にはいろいろな価値観がありますから、それを無理矢理統一したものにしようとすれば、そこには必ず抑圧されてしまう人間が出てきてしまうというようなことにはならないでしょうか?
>福祉で救えなかった者が、刑務所に来る。
元代議士のどなたかだったと思いましたが、その人が収賄か何かで刑務所に入っていたときの話を本にしていて、そのことをいつだったかラジオで放送していましたが、そのことでしょうか。
その中に自分が悪いことをしているという自覚もない人たちが万引きとかの常習で前科何犯にもなって出たり入ったりしていて、ほぼ彼らの人生は檻の中であるというのに、その自覚もなくて、テレビで見る犯罪に対して「私たちはそういう犯罪者にならなくてよかったね?」と肩寄せ合って生活しているという現状がある・・というようなことでしたが。
まあここでは刑務所が一つの福祉施設化しているという風に考えられなくもないわけですが・・。
>加害者も弁護されるのが裁判。
>他の弁護士がやりたがらない犯罪の弁護を依頼されるのだそうで。
ですから、橋下の場合もそれがいえると思いませんか?
人品を云々するのもいいですが、必要悪かもしれない高利貸し業務のどこまでが法律に抵触するのか?というような「他の弁護士がやりたがらない」ことをやはり「家庭の幸せのため」に多少の報酬を正当(とされる範囲で)にもらっていることだろうことに、私はそこまで悪くは言える立場にはありません。
※まあ何にしろ、東京と大阪の知事さんはどちらも都民・府民の圧倒的な支持で選出されたわけですけど、どちらもよく似たタイプで、自分に与えられた権力の使い方には慎重にお願いしたいものですね。
>人権はやはり、犯罪者でも擁護されるべきもの。
私はおろかなので何度も聞いているのかもしれませんが、もう一度聞きたいと思います。
「人権」のいうところの「生きる権利」とはどういうものでしょうか?
誰が決めたものでしょうか?
※ たとえば刑罰として拘留されることは、「人間らしく生きる権利」を著しく侵害しないでしょうか?
このことと刑罰として人間が人間の手で人を殺すという実際的な意味での「生きる権利の剥奪」との関係は何でしょうか?
同じものでしょうか?違うものでしょうか?
確か私が聞いた日本の仏教での一般的(?)な解釈(本当の解釈ではないとも思いますが)では、【人間は人を殺すと「畜生道」に落ちる】というようなものですが、こういうことを(欧米のキリスト圏とは違った)日本の文化だと考えれば、人を殺したものは、もはや人間ではないですから、「人権」の適用には無理があるとも思いますが、こういうことについてはどう思いますか?
>復讐させるなら「裁判など無用」でしょ?
ですから、裁判による刑罰の決定は、
<<刑罰(けいばつ)とは国家が何らかの犯罪をした者に科する制裁である。>>
というものである限り、被害者による制裁を奪った上での、第三者的客観性を介入させたという意味での「裁判」ですよねえ?
つまり前々から何度も書いている様に、被害者が復讐権を奪われた上での国家による代理の制裁(復讐)行為という側面も当然あるわけですよねえ?
・ ・・・それはドラさんも認めましたよねえ?
この制裁を認めるのならば、裁判による死刑という制裁行為も当然認められるはずですよねえ?
>納得など簡単に出来るわけはない。
>しかし、やはり【殺してはいけない】のが、人間のきまりだと。
俗に、キリスト教社会には唯一絶対の神がいて、その神の決めた倫理基準があり、少なくともその神を信じる人たちにとっては普遍的な「人間の決まり」があると考えてもいいと思いますが、実際的にはそういうことが全世界共通して存在すると考えるのは少し早計そうに感じますがどうでしょうか?
欧米の倫理基準とか、国家形成のヒエラルキーとかは、皆唯一の「神」の存在によって成り立っていると考えられるわけですよねえ?
先に書いた「畜生道」のこともありますし、世の中にはいろいろな価値観がありますから、それを無理矢理統一したものにしようとすれば、そこには必ず抑圧されてしまう人間が出てきてしまうというようなことにはならないでしょうか?
>福祉で救えなかった者が、刑務所に来る。
元代議士のどなたかだったと思いましたが、その人が収賄か何かで刑務所に入っていたときの話を本にしていて、そのことをいつだったかラジオで放送していましたが、そのことでしょうか。
その中に自分が悪いことをしているという自覚もない人たちが万引きとかの常習で前科何犯にもなって出たり入ったりしていて、ほぼ彼らの人生は檻の中であるというのに、その自覚もなくて、テレビで見る犯罪に対して「私たちはそういう犯罪者にならなくてよかったね?」と肩寄せ合って生活しているという現状がある・・というようなことでしたが。
まあここでは刑務所が一つの福祉施設化しているという風に考えられなくもないわけですが・・。
>加害者も弁護されるのが裁判。
>他の弁護士がやりたがらない犯罪の弁護を依頼されるのだそうで。
ですから、橋下の場合もそれがいえると思いませんか?
人品を云々するのもいいですが、必要悪かもしれない高利貸し業務のどこまでが法律に抵触するのか?というような「他の弁護士がやりたがらない」ことをやはり「家庭の幸せのため」に多少の報酬を正当(とされる範囲で)にもらっていることだろうことに、私はそこまで悪くは言える立場にはありません。
※まあ何にしろ、東京と大阪の知事さんはどちらも都民・府民の圧倒的な支持で選出されたわけですけど、どちらもよく似たタイプで、自分に与えられた権力の使い方には慎重にお願いしたいものですね。
これは メッセージ 15928 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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