“平和ボケ”のお部屋

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Re: “平和ボケ”・・長幼の差

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2008/08/29 00:10 投稿番号: [15778 / 17759]
こんばんわ。



>今回のことで、「きっこの日記」(過激?)とか江川紹子さんのブログ(理性的?)などを読むと、お互いに少し違いましたが、それぞれに、私の考え方とよく似ている所がありました。


紹介して下さい。


私は下記に大賛成

★ホームレス殺人事件の場合、猫を百匹以上も殺していた者が主犯者だったという。なぜ、そこでその者にそれ以上「罪」を重ねることを防ぐよう導くことができなかったのか。

  また、母子殺人事件の被告人もDV被害者だったというがDV被害を防いでいたら被告人は「犯罪者」にはならなかったのではないだろうか。

  そこまでの社会的予防策をつくしたにもかかわらず、いわゆる「邪悪なる者」が存在し、その人の邪悪さが表に現れた結果、人を殺したというような場合に、はじめて、その人への死刑適用が問題になるのではないだろうか。

  現在の社会制度にのっかってうまくやっている人(例えば安倍ちゃま)が、一方的に、現在の社会制度では救われなかった人を排除することが果たして許されるのだろうか。

  もしかしたら、社会制度の不備が、彼らに猫を殺し、人を殺すことを「強いた」のかもしれない。

  邪悪と言われるような存在になりたくてなる人がいるのだろうか。もし、光市母子殺人事件被告人が安倍家に生まれていたら、あのような犯罪を犯すにいたっただろうか、安倍家とまではいわずともあなたの家に生まれていたら、どうだっただろうか…。

  もちろん、大切な家族を殺された遺族の気持ちも理解できる。彼らが復讐心を抱くことは当然だし、自分に置き換えれば、復讐を実行するかもしれない。

  しかし、社会のほかの構成員が遺族の気持ちにのみ乗っかかった処罰論議をするのはあまりにも危険ではないだろうか。厳罰にすることで問題を解決しようとする姿勢は、犯罪予防策として本当に取り組むべきことを忘れさせてしまい、真の予防策の実現が先延ばしになるだけではないだろうか。一歩引いた視点でものごとを考えることで、社会システムを改善することが可能となるのではないだろうか。

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/305867cd7c6fdcc258f6199f58f53d6a




>やっぱり最後には、被告人の「生きて償いたい」という気持ちがあったればこそ周りもそっちに流されると言うことでしょうね。


少年も【死刑判決後】、寂しい・・と静かに涙を流していたそうです。


>結局、今の日本の現状が遅れているのかどうかは分かりませんが、表面的な欧化政策にも負けずに、基本的には、土着的な仏教の風土というか、是非はともかく日本人の倫理観が堅持されているというか、まだまだ死刑は容認されているという状況なのだと思いますね。


私は宗教の素養がありませんので、
土着的な仏教の風土とは、もう少し分かりやすくお願いします。


紙面で元裁判官が、【光市事件のように遺族が頻繁にメディアに出て主張を繰り返す】事はかつてなかったと。

少年も遺族へ手紙を送ったが、遺族は一生読まないだろうと仰っていました。
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