Re: 強制連行の様子
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2007/04/06 00:51 投稿番号: [15163 / 17759]
ノロは怖いですね。
私はぎっくり腰ならぬ
きっくり腰で、シップを貼った事はあります。
>日本も1932年に批准していた強制労働条約に「強制連行・強制労働」が抵触するということ
で補償を求めたんです。
確かILOは【慰安婦は強制労働させられた】事を認定しています。
>さて、サヨ君達にとっては「韓国」という非難できない聖域を抱えているのが痛いですね。
韓国の軍事独裁政権には、非難轟々【日韓協定時にも、朴政権と協定結ぶな】と。
>捕虜虐待の朝鮮人BC級戦犯、
前二つは、詳しくないですが、
BC級戦犯は、皇軍の被害者です ↓
★年表でたどる
韓国・朝鮮人
BC級戦犯の歴史
・・
1942(昭和17)年5月
朝鮮総督府が朝鮮全土から捕虜監視員を募集
形式的には「募集」だが
応じなければ食糧の配給を止めるなどと脅されて
やむなく「応募」させられたケースも多い。
また、同じ頃、朝鮮にも
徴兵制を実施することが閣議決定し
戦争にゆくよりはマシだと考えた人々もいた。
1942(昭和17)年6月
朝鮮人青年3223人
陸軍釜山西面臨時軍属教育隊(通称野口部隊)に
配属され訓練を受ける
初年兵教育さながらの
厳しい軍事訓練と精神修養が2カ月続き
ノイローゼになる人も出たという。
【捕虜監視のための訓練
(捕虜の人道的処遇を定めた国際条約や
捕虜の母語である英語やオランダ語などの勉強)は
まったく行われなかった。
彼らは「上官の命令は、天皇の命令と思って
絶対服従せよ」「捕虜になるくらいなら死ね」
と叩き込まれた。】
・・
1952(昭和27)4月28日
サンフランシスコ講和条約により日本が独立
・・
この日を境に、在日朝鮮人は
日本国籍を一方的に「喪失」させられた。
・・
1956(昭和31)年
鳩山一郎総理大臣に国家補償を求める要請書を提出
この年、彼らは初めて「生活保護」ではなく
朝鮮人戦犯としてこうむった被害に対する
「国家補償」(刑死者遺族への補償を含む)を要請。
以後、今日に至るまで40年にわたり
内閣がかわるたびに要請書を提出し続けている。
1965(昭和40)年
日韓条約・日韓請求権協定締結
・・
「日本人」として刑を受けながら
「朝鮮人」だから補償はできないという。
・・
http://www.ne.jp/asahi/nadja/bc/
★写真は1943年7月、釜山の臨時軍属教育隊で撮影されたもの。
写真に映る朝鮮人軍属はみな、あどけなさの残る少年たちだ。
彼らはこの部隊で毎日「対向ビンタ」
(向かい合って相手の頬を殴る訓練)や銃剣術、
軍人勅諭や軍属読法の暗唱、等々にあけくれた。
「自我を殺し、上官に絶対服従する」訓練
――すなわち「マインド・コントロール」の訓練だった。
巣鴨刑務所から仮釈放された
朝鮮人戦犯(後ろに映っているのが刑務所)。
服と靴は借り物。一見立派そうなカバンは段ボール製だ。
【身体ひとつで見知らぬ日本の地に放り出され
その日から、生活苦・飢えとの新たな闘いが始まった。】
生活苦から仲間が自殺するに至り
朝鮮人元戦犯たちは生活援護と補償を求めて
首相官邸につめかけた。
http://www.ne.jp/asahi/nadja/bc/
★
原告の
プロフィール
http://www.ne.jp/asahi/nadja/bc/
>そして従軍慰安婦
募集への加担などなど加害的側面を覆い隠しては充分な検証ができるハズがありません。
もちろんチンピラは日朝両国にいました。
しかし【軍が業者を選定】して、【慰安所は国策】で、
元はと言えば、植民地にして益々困窮させたのは、日本です。
>実は韓国人に求められるのは被害証言よりも加害証言の方だと思うんですよね。
被害者の韓国人慰安婦の証言は胡散臭く、加害業者に証言せよですか。
被害証言を胡散臭いとは?
>将来、国内一般世論の反感を招くことも必然かと思います。
学生運動以来の世論からの乖離の道を再び邁進しているんじゃないかな?
【国連勧告やILO、女性法廷】等で、【慰安所の違法性
私はぎっくり腰ならぬ
きっくり腰で、シップを貼った事はあります。
>日本も1932年に批准していた強制労働条約に「強制連行・強制労働」が抵触するということ
で補償を求めたんです。
確かILOは【慰安婦は強制労働させられた】事を認定しています。
>さて、サヨ君達にとっては「韓国」という非難できない聖域を抱えているのが痛いですね。
韓国の軍事独裁政権には、非難轟々【日韓協定時にも、朴政権と協定結ぶな】と。
>捕虜虐待の朝鮮人BC級戦犯、
前二つは、詳しくないですが、
BC級戦犯は、皇軍の被害者です ↓
★年表でたどる
韓国・朝鮮人
BC級戦犯の歴史
・・
1942(昭和17)年5月
朝鮮総督府が朝鮮全土から捕虜監視員を募集
形式的には「募集」だが
応じなければ食糧の配給を止めるなどと脅されて
やむなく「応募」させられたケースも多い。
また、同じ頃、朝鮮にも
徴兵制を実施することが閣議決定し
戦争にゆくよりはマシだと考えた人々もいた。
1942(昭和17)年6月
朝鮮人青年3223人
陸軍釜山西面臨時軍属教育隊(通称野口部隊)に
配属され訓練を受ける
初年兵教育さながらの
厳しい軍事訓練と精神修養が2カ月続き
ノイローゼになる人も出たという。
【捕虜監視のための訓練
(捕虜の人道的処遇を定めた国際条約や
捕虜の母語である英語やオランダ語などの勉強)は
まったく行われなかった。
彼らは「上官の命令は、天皇の命令と思って
絶対服従せよ」「捕虜になるくらいなら死ね」
と叩き込まれた。】
・・
1952(昭和27)4月28日
サンフランシスコ講和条約により日本が独立
・・
この日を境に、在日朝鮮人は
日本国籍を一方的に「喪失」させられた。
・・
1956(昭和31)年
鳩山一郎総理大臣に国家補償を求める要請書を提出
この年、彼らは初めて「生活保護」ではなく
朝鮮人戦犯としてこうむった被害に対する
「国家補償」(刑死者遺族への補償を含む)を要請。
以後、今日に至るまで40年にわたり
内閣がかわるたびに要請書を提出し続けている。
1965(昭和40)年
日韓条約・日韓請求権協定締結
・・
「日本人」として刑を受けながら
「朝鮮人」だから補償はできないという。
・・
http://www.ne.jp/asahi/nadja/bc/
★写真は1943年7月、釜山の臨時軍属教育隊で撮影されたもの。
写真に映る朝鮮人軍属はみな、あどけなさの残る少年たちだ。
彼らはこの部隊で毎日「対向ビンタ」
(向かい合って相手の頬を殴る訓練)や銃剣術、
軍人勅諭や軍属読法の暗唱、等々にあけくれた。
「自我を殺し、上官に絶対服従する」訓練
――すなわち「マインド・コントロール」の訓練だった。
巣鴨刑務所から仮釈放された
朝鮮人戦犯(後ろに映っているのが刑務所)。
服と靴は借り物。一見立派そうなカバンは段ボール製だ。
【身体ひとつで見知らぬ日本の地に放り出され
その日から、生活苦・飢えとの新たな闘いが始まった。】
生活苦から仲間が自殺するに至り
朝鮮人元戦犯たちは生活援護と補償を求めて
首相官邸につめかけた。
http://www.ne.jp/asahi/nadja/bc/
★
原告の
プロフィール
http://www.ne.jp/asahi/nadja/bc/
>そして従軍慰安婦
募集への加担などなど加害的側面を覆い隠しては充分な検証ができるハズがありません。
もちろんチンピラは日朝両国にいました。
しかし【軍が業者を選定】して、【慰安所は国策】で、
元はと言えば、植民地にして益々困窮させたのは、日本です。
>実は韓国人に求められるのは被害証言よりも加害証言の方だと思うんですよね。
被害者の韓国人慰安婦の証言は胡散臭く、加害業者に証言せよですか。
被害証言を胡散臭いとは?
>将来、国内一般世論の反感を招くことも必然かと思います。
学生運動以来の世論からの乖離の道を再び邁進しているんじゃないかな?
【国連勧告やILO、女性法廷】等で、【慰安所の違法性
これは メッセージ 15161 (nita2 さん)への返信です.
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