アムネスティ①
投稿者: stefanie_nadeshiko 投稿日時: 2005/08/20 13:48 投稿番号: [11327 / 17759]
国際法上、日本と連合国との交戦状態は、サンフランシスコ対日講和条約(以下サ条約)が発効する昭和27年4月28日まで継続していることから、連合国による戦犯裁判を「軍事行動」と解釈するならば、東京裁判を含むこれらの軍事裁判の判決は、講和条約発効と同時に失効し、すべての戦争犯罪人が免責されるというのが第二次大戦当時における国際慣習法でした。
いわゆる「国際法上の大赦(アムネスティ)」です。
そしてこれは条文上の明記がなくとも、講和条約の発効それ自体が当然にアムネスティ効果を生じさせるものとして、国際社会から認識されていました。
しかしこれは実定国際法ではないため、戦勝国が講和条約中にアムネスティを適用しないとの条項を設置すること自体が禁じられていたわけではありませんでした。
このため連合国として、講和条約発効後、日本政府がアムネスティの恩恵を享受する形で、各地の戦犯の刑の執行を停止することを阻止せしめるために設置したものがサ条約第11条でした。
つまり同条はあくまでもアムネスティのモラトリアムを意図したものに過ぎず、日本国に対して東京裁判(史観)そのものの受容を義務づけたものでは決してないのです。
そしてこれが当時の日本政府の公式見解であったことは、昭和26年10月17日の「衆議院平和条約および日米安全保障条約特別委員会」における外務省・西村条約局長による次の答弁からも明らかです。
「(サ条約)第11条は戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和条約に特別の規定を置かない限り、平和条約の効力発生と同時に、戦犯に関する判決は将来に向かって効力を失い、裁判がまだ終わっていない者は釈放しなければならないというのが原則であります。従って、11条はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本国は極東軍事裁判所その他連合国の軍事裁判所によってなした判決を受諾するということになっております。」
また、昭和26年11月13日参議院法務委員会においては、大橋武夫法務総裁(法相に相当)が次のように述べています。
「戦争犯罪なるものは、これは国内法上におきまする犯罪と観念すべきものでは私はなかろうと思います。これは国内法におきましては、あくまで犯罪者ではない。従いて国内法の適用におきまして、これを犯罪者と扱うということは、如何なる意味においても適当ではないと思うのであります。」
いずれも国際法理念に照らし合わせて、まったく妥当かつ適切な見解です。
サ条約第11条の意味するところをこのように受け止めていたのは、何も行政府だけでなく、当時の国会も、法曹界も、そして国民も等しく同様でした。
だからこそ当時の日本国は、この「アムネスティのモラトリアム」という連合国による非情な仕打ちに憤慨し、次のとおり国を挙げて戦犯たちの赦免運動を展開したのです。
◎昭和27年6月5日 市民団体や地方公共団体による「戦争受刑者の助命、減刑、内地送還嘆願」の署名活動開始(合計約4000万件の署名を収集=共同通信社の調査による。ちなみに当時の日本の人口は約7000万人=)。
◎昭和27年6月7日 日弁連「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出。
◎昭和27年10月11日 政府、日本人戦犯の赦免・減刑を関係各国あて要請。
◎昭和27年12月9日 第15回国会衆議院において「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」案、圧倒的多数で可決(反対は労農党のみ)。
◎昭和27年12月12日 上記決議案、参議院でも可決。
◎昭和28年8月3日 衆議院本会議において、再度「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」案を可決。
同月第16回特別国会で「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の一部改正案、全会一致で可決。
朝野を挙げてのこの一連の行動が、サ条約第11条および東京裁判に対する当時の日本国民の認識であり、コンセンサスだったことは疑いがありません。
いわゆる「国際法上の大赦(アムネスティ)」です。
そしてこれは条文上の明記がなくとも、講和条約の発効それ自体が当然にアムネスティ効果を生じさせるものとして、国際社会から認識されていました。
しかしこれは実定国際法ではないため、戦勝国が講和条約中にアムネスティを適用しないとの条項を設置すること自体が禁じられていたわけではありませんでした。
このため連合国として、講和条約発効後、日本政府がアムネスティの恩恵を享受する形で、各地の戦犯の刑の執行を停止することを阻止せしめるために設置したものがサ条約第11条でした。
つまり同条はあくまでもアムネスティのモラトリアムを意図したものに過ぎず、日本国に対して東京裁判(史観)そのものの受容を義務づけたものでは決してないのです。
そしてこれが当時の日本政府の公式見解であったことは、昭和26年10月17日の「衆議院平和条約および日米安全保障条約特別委員会」における外務省・西村条約局長による次の答弁からも明らかです。
「(サ条約)第11条は戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和条約に特別の規定を置かない限り、平和条約の効力発生と同時に、戦犯に関する判決は将来に向かって効力を失い、裁判がまだ終わっていない者は釈放しなければならないというのが原則であります。従って、11条はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本国は極東軍事裁判所その他連合国の軍事裁判所によってなした判決を受諾するということになっております。」
また、昭和26年11月13日参議院法務委員会においては、大橋武夫法務総裁(法相に相当)が次のように述べています。
「戦争犯罪なるものは、これは国内法上におきまする犯罪と観念すべきものでは私はなかろうと思います。これは国内法におきましては、あくまで犯罪者ではない。従いて国内法の適用におきまして、これを犯罪者と扱うということは、如何なる意味においても適当ではないと思うのであります。」
いずれも国際法理念に照らし合わせて、まったく妥当かつ適切な見解です。
サ条約第11条の意味するところをこのように受け止めていたのは、何も行政府だけでなく、当時の国会も、法曹界も、そして国民も等しく同様でした。
だからこそ当時の日本国は、この「アムネスティのモラトリアム」という連合国による非情な仕打ちに憤慨し、次のとおり国を挙げて戦犯たちの赦免運動を展開したのです。
◎昭和27年6月5日 市民団体や地方公共団体による「戦争受刑者の助命、減刑、内地送還嘆願」の署名活動開始(合計約4000万件の署名を収集=共同通信社の調査による。ちなみに当時の日本の人口は約7000万人=)。
◎昭和27年6月7日 日弁連「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出。
◎昭和27年10月11日 政府、日本人戦犯の赦免・減刑を関係各国あて要請。
◎昭和27年12月9日 第15回国会衆議院において「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」案、圧倒的多数で可決(反対は労農党のみ)。
◎昭和27年12月12日 上記決議案、参議院でも可決。
◎昭和28年8月3日 衆議院本会議において、再度「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」案を可決。
同月第16回特別国会で「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の一部改正案、全会一致で可決。
朝野を挙げてのこの一連の行動が、サ条約第11条および東京裁判に対する当時の日本国民の認識であり、コンセンサスだったことは疑いがありません。
これは メッセージ 11213 (stefanie_nadeshiko さん)への返信です.
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